なぜ貪欲に情報を求めるのか


「他人の目」と「自分の目」を駆使してウェブを読む - 北の大地から送る物欲日記 - 明日は明日の風が吹く」を読んで。

孫ニュースサイトとして、二次・三次での情報を得ている訳で。でも、一番最初に誰かが情報を見つけてくるとして、それが良ければ紹介するというスタンスだからなぁ。埋もれている記事を見つけてこれたら嬉しいけれど、そうでなくても、そこで私が何かを感じられるならそれで良い訳で。
 何と言っても、「私にとっては、それが初めて見る情報」な訳で。他の人が既に見つけたかどうかよりも、私自身が初めて見るという事に意味が感じられるし。

「他人の目」「自分の目」という、記事を見つけてくる手段の違いの話を「「他人の目」と「自分の目」を駆使してウェブを読む」でしたけれども、実際に見つけた記事を読んでるときは、どういう手段で見つけてきたかは気にしていなかったり。そこでは、純粋にその記事の内容をどう思ったか、を判断してる訳で。

ただ、読む量が多くなって読む時間が限られているときは、どうしても流し読みになってしまいがちで、じっくり読めば気になるところがある記事をスルーしてしまうこともたまにある。「他人の目」の方だと、いろんな人の目を借りて記事を見ているので、同じ記事が何度も目に入ることがあって、一回はスルーした記事もそれによって「あれ?実は結構興味深いことが書いてある?」と気づくこともままあったりします。

誰かの目で一度選ばれた後でも、「自分にとって価値のある」情報が多すぎるぐらいある。その中で、更に絞って面白いと思える物をこうしてニュースサイトで出していっている訳で……今でももう多すぎてパンクしそうだからなぁ。ブクマするだけならまた違うのかもしれないけれど、こうやって色々と思う事を書いていくタイプのニュースサイトだと、一次発掘には拘っていられないし、それでも十分な量の情報に出会えているという感覚なんだよな。

ニュースサイトやRSSリーダーソーシャルブックマークと、「価値のありそうな情報」を教えてくれる手段は昔に比べたらずっと増えていて、しかもウェブ上の情報や文章を書く人の数が増え続けているだけあって入ってくる情報量は日に日に増す一方。


それでも少しでも多くの情報を見たいと思うのは、一部分だけじゃなくなるべく幅広い視野から物を見たいとか、自分にはない発想や情報を見つけてみたいという好奇心からくるんだろうか。


自分がブログを書くときの情報収集の下地にもなっているので、どうやってウェブを読むかって言うのは定期的に見直してみたいテーマですね。こういうことに興味を持っているのは、少なからず情報ジャンキーな人たちが多いので、他人がどういう手段で情報収集してるか?とかは気になる分野です。