他者のコメントとつきあう方法


ネガティブ溢れるはてな村はどこに? - 北の大地から送る物欲日記」で、はてなブックマークのコメントに感じる印象を語ったけれど、結構いろんな方向に話題が広がってるようなので、それらについて書いてみる。

何がネガティブコメントなのか?


前のエントリではネガティブコメントとは何か?を細かく定義することなく語ったが、実際には「何がネガティブコメントなのか?」というのは大事なところ。

  • ネガティブコメントと呼ばれるものの分類

はてなブックマークのコメントだけでなく、いろんなコメント、更にはコメントだけでなくブログ本文などでの主張も踏まえて、以下の分類が分かりやすい。

僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントのガイドライン
1. 事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする)
2. 異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする)
3. 誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする)
4. コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする)

受け取る人によって、どこからがネガティブコメントと感じるかは違う。

私の場合は、コメントの内容で判断すると、3. 4.をネガティブコメントとして感じるが、1. 2.の場合であってもその書かれ方によっては不快感を感じることもある。それは、内容的には1. 2.の範囲なんだけど、文章として3.の要素とも受け取れる何かが入ってるんだろうと思っている。

はてなブックマークコメントのように文字数が限られている場合、人に見られることを意識せずに自分メモの感覚で書かれている場合、そもそも他人がどう思うかを気にしていない場合、などにおいて、書かれた側が不快感を感じるようなコメントになってしまうことが多いように思う。


客観的な視点からの主張なのか、主観的な視点からの主張なのか


ウェブで文章を書いているときに気をつけなければいけないのが、今こうして自分が書いている主張は客観的な視点からの話なのか、主観的な視点からの話なのかという点。

これとか、はてブこそこそとか、無断リンク問題とかも同じだと思うんだけど、「実際はポジティブ米のほうがずっと多い」とか、「パブリックだからこそこそじゃない」とか、「ウェブの理念からいって無断リンクは正義」とか、そんなこと言ったって意味無いと思う。そういう風な意見はたぶん客観的には正しいのだろうと思うけど。
これらの問題は、「気分が悪い」というごく私的で感情的な問題だ。そこに客観的な正しさを持ち込んだところで気分の悪さは消えるものではない。嫌なもんは嫌なもんなのだ。
もちろん、だから無断リンクはだめとかっていう気は毛頭ないんだけど、反論としてあんまり意味がない気がするし建設的じゃないし火に油を注ぐだけだろうなあという気がします。

自分の感じた感情を主観的に「嫌だから嫌なんだ」と書くのは問題ない。ただ、その場合、それはあくまでそれを書いた人が感じた感情にすぎないことを忘れてはいけない。


これが多くの人が参加して成り立つ場所でのルールの話になるのならば、「実際どうか」の方を重要視しないといけない。ルールというのは、全体を客観視して、多くの人がうまくやっていくためにはどうあるべきで決められるべきだからだ。個人が主観的に「私は嫌だ!」「だからそのルールはダメだ」と、自分の感情を全体的な正しさに結び付けてしまう、主観的な主張を客観的に正しいかのようにねじまげる、そこに無理がある。


じゃあ、主観的に「嫌だから嫌なんだ」と感じたことは全て踏みにじられてしまうのか、というと、それもまた違う。主張の仕方の問題で、「それを嫌だと感じる人もいるので、そういう人にも配慮できる方法はないだろうか?」と提案することはできる。そうやって、共存の道を模索していくこともできるだろう。

感情だけに訴えていては、互いに共存する道もままならないということ。


個人の意見が可視化されることで、ないものまで見えてしまう可能性


はてなブックマークのコメントにおいては、目に見えない場所でこそこそと陰口を叩いているように見えるという「直接目にはできない場所での言及」、大勢のコメントが並んで表示されて見えることによる「目に見えない集団圧力」などが挙げられることがある。


目に見えない場所でこそこそと、というのは、一旦存在を知ってしまえば誰でも自由に見ることのできるオープンな場であることから、単に知っているか知らないかの違いにすぎない。オープンな場である以上、こそこそというのはあまりふさわしくない例えなのかな、と思う。


「目に見えない集団圧力」は、そう見える人には何を言ってもそう見えてしまうんだろうなぁ、と感じている。意見が少数派と多数派に分かれていて、その少数派に属しているときには多数派よりのコメントに集団圧力を感じやすいだろう。これは事実として集団圧力があるかないか、という話と関係なくそう感じてしまいがちだろう、という話。



はてなブックマークのコメントは、ブログでエントリを書くこと、誰かのブログのコメント欄にコメントを書くこと、と比べるとずっと気軽にコメントを残すことができるから、より多くの人の本音に近いコメントを見ることができる。ただ、このような多くの人の本音に近いコメントが見られるという環境は、はてなブックマーク以外の場においてはあまり存在せず、そのコメントをどう受け取るか、という点において、受け取る側のリテラシーが重要になってくる。

コメントを書いた人が思ってもいないような内容まで過度に読み取ってしまうのは読み取りすぎ(過敏)だし、個別の判断で行動しているブックマーカーに集団的な悪意を感じてしまうのは自意識過剰だろう。


ネガティブコメントとの対話


id:takoponsさんのエントリで挙げられていたネガティブコメントとの対話の話が興味深かった。

はてなブックマークに書かれたコメントがネガティブだと感じたら、「ネガコメは良くない!はてなーは問題だ!」と主張するのではなく、ネガティブな発言をしたブックマーカーに対して直接質問してみてはどうか?
「あなたのご発言の真意を問いたい」とIDコール送信。
この質問への対応がどうだったかによって判断しても良いのではないか?

質問への対応が、
1. 返答なしの場合
1. チキンまたはヘタレの可能性あり。少なくともコミュニケーション能力はない。
2. 特に根拠はない、と返答された場合
1. 根拠もなく反論する浅い思考の持ち主である可能性あり。バカと会話してもしょーないので無視して良い。
3. さらにネガコメを受けた場合
1. 何かに反論することが目的の反論厨。発言内容に罵倒や中傷を含むことがあり、無視するのが無難。
4. 返事はあったが、納得できなかった場合
1. どこが納得できないかを明記し、追加質問する。返事がなければパターン1か2の可能性あり。
5. 説得力のある回答が返ってきた場合
1. はてなブックマークの100字では書ききれなかったコメントの真意を読み取り、今後の参考にする。

上記のうち、パターン3と判断して、それでもスルーできなかった時に「ネガコメどげんかせんといかん!」と主張すれば良い。

実際にネガティブコメント一つ一つに対してこれを行うのは非常に大変で非現実的なのだけど、ネガティブコメントの真意を問うこと、そしてそれへの対応のくだりは参考にすべき点が多く含まれた内容になっている。


質問への対応に関して、私ならこう感じるってのを挙げてみると

1. 返答なしの場合
 はてなIDコールはてなメッセージを見てないと気づかないので、気づかれなかった可能性もある。また、自分メモで他人に見られることを考えてないときなども返答がこなさそう。なんにせよ、返答がないってのはそれほどコメントを重要に思ってないってことなんだな、と判断してスルー。

2. 特に根拠はない、と返答された場合
 根拠はないってことは、感情的に、主観的に述べたコメントなんだな、ってことで、あぁそういう感じ方もありますね、で終了。

3. さらにネガコメを受けた場合
 何か考えるところ、思うところがあってのコメントではなくネガコメをしたいためのネガコメ?ということで、中味がなさそうなのでスルー。

4. 返事はあったが納得できなかった場合
 再度納得できない部分を問う。根本的に相容れないんだな、と分かれば、それはそれでそういう考えの人もいると判断して終了。

5. 説得力のある回答が返ってきた場合
 自分にはなかった視点に気づけたことに感謝しつつ、円満終了。


このネガティブコメントとの対話は、はてなブックマークコメントだけでなく、ブログのコメント欄でのやりとりにも適用できるもので、実際に自分のいままでのやりとりを思い返しても頷ける部分が多い。



エントリタイトルでは、「コメント」としているけど、このエントリで挙げたような話ってのはネットを通じて他人とコミュニケーションするとき全般的に適用できる話。ネットは距離、時間、立場などを飛び越えて多くの人とコミュニケーションする機会を与えてくれるけれど、やりとりできる情報量が少ないことから生じるいろんな問題点も多くある。

自分が熱くなってるなと思ったら冷静に、自分の主張に夢中になってるなと思ったら客観的に、と頭の中を切り替えてみるのがネットでのコミュニケーションをうまくやっていくコツなんじゃないかな。