Twitter廃人の夜は更ける


Twitter廃人の朝は早い - 北の大地から送る物欲日記」が好評だったので、続きをば。






息子は、父親の仕事のことでいじめにあい、二人とも家出した。

たった一人残った妻も、二年前に他界した。

「今はもうこいつだけですよ」

どこか寂しげに笑いながら、彼は膝の上のネコを抱いてみせた。

Twitterでメンテの度に現れるネコたちを見てるうちにネコを飼うことを決めたそう。



「つぶやき・・・つぶやきをね・・・伝えたい」

彼は入力の最中、そうつぶやいた、その小さなつぶやきこそ

現代の日本に失われつつあるものではないか。



「自動返信なら早いし簡単なんだけど、やっぱり感触が違うんだよね」

そう言いながら、タイムラインを流れる大勢のフォロワー達の挨拶への返信をつける。

地元新聞でも取り上げられ、最近は企業の社内交流の一環としてもにわかに注目され始めている。



最近では、近所の子供にも使ってもらおうと、Twitterの無料講習も始めたようだ。

最初はバカにして寄り付かなかった子供達も、今ではすっかり彼の友達だ。



「いやー、この返信には苦労しましたよ、プロテクト相手の返信にはものすごい神経を使うんです」

そう苦労をかたり、彼ははてなブックマークホッテントリに入ったというつぶやきを見せてくれた。



SNSとの決別。

日本のミニブログ普及を賭け、伝統の技と最先端の技術が、手を組んだ。

最近では海外のTwitter-erにも注目されているという。

額を流れる汗をぬぐいながら

「本物に追いつき、追い越せですかね」

そんな夢をてらいもなく語る彼の横顔は廃人のそれであった。



今、彼は新しいつぶやき芸の開発をしている。

より気持ちよく、より楽しませるつぶやき。

「試行錯誤の毎日でしたよ・・・。

一度、鼻血を流したアイコンにしてみたんですけどね・・・

ちょっと試してみたら周り中鼻血を流したアイコンだらけでしたよ

紫色の何かを持たせたり、そう、角を生やしたこともあったっけな(笑)」



震災の影響で一次工場を閉めようかとも考えました。

あの頃はネコに変わってメンテを飾る様になった鳥に運ばれるクジラを見ながら、

何度も立て直すのはもう無理だなんて諦めてました。

でも、復興が進むにつれて、私にはこれしかないんだとはっきり分かったんですよ。

いやだってね、いい歳して情けないですけど、つぶやけなくなるって考えただけで、

胸が熱くなって涙が出てくるんですよ。

最初はただのお遊びだったTwitterが、

私にとっては生きることと同じ意味になってしまっていたのですから。



Twitterブームの初期の頃からの利用者○○さん。

廃人のフォロワーの一人です。

「やっぱり目についた時点でね、

大量にタイムラインを流れる他のつぶやきとは違うって分かるんですよね」



「これは失敗だ」

そう言うと、彼は書き上げたつぶやきを発信することなく消去した。

「心をこめてつぶやくものですから自分の息子も同然。

だけど、納得できないものをつぶやく訳には行きませんから」



「つぶやきの良さが忘れられているのではないか」

そんな思いが今日も廃人の力になるのです。



高度情報化社会への移行にともなって、日本の廃人が持つ

圧倒的な質のつぶやきに海外のユーザーまでもが目を付け始めた。

先日18日付けのはてなブックマークの一面を華々しく飾ったのも

日本製のつぶやきであり、はてななどで匠現象(日本製つぶやきの大量ブックマーク)

を巻き起こすほどである



返信の吟味、それもTwitter廃人にとっては試練でもある。

「粘度が高すぎても駄目なんですよ。あまり執着するとしつこくなる。
 
ふらっと寄って、さっと帰る。それくらいの距離感が心地いいんです。」

特定の一部と馴れ合うことはしない。

廃人であるからはそこは譲れない、彼はそう語る。



彼の作業所の玄関先には、大きな桜の木が立っている。

今はもう満開。新入学の出会いのシーズンだ。

「でも、出会いの無い人達だっていると思うんですよ。

そんな人達に、僕の子供達(つぶやき)と出会って欲しい」

彼は満面の笑みでそう語り、作業所へと戻った。

昔、バレンタインデーに合わせてTwitter上を♡マークが飛び交ったこともあった。

彼のつぶやく発言も桜色。

何人をフォローし、何人にリムーブされるだろうか。



「昔はRSSやブックマークを流すだけの暖かみの無いなつぶやきに

随分押されたりもしたのですが結局は勝ちましたよ。

今は情報商材スパマーや海外botに押されてますけど、

いずれまた勝たせてもらいますよ」

と廃人は力強く語る。Twitter国際化の流れのなかにあって

廃人同士の熱い戦いは国際的なものへと発展し、

次の世代から次の世代へと受け継がれていく 。



彼の発するつぶやきは高尚な内容しか無いわけではない。

見た者を思わず脱力させるような力を抜いたつぶやきも十分な数を揃えるようにしている。

「やっぱりね、なるべく多くの人に手にとってつぶやいてみてほしいんですよ。」

「えぇ、絶対違いがわかりますから。」



彼がTwitterを始めるきっかけとなったのが、60年前のTwitterブームであった

それまでのWebサービスと一線を画し、高品質、高感度を求められたミニブログ

たまに文字化けする日本語で初めてつぶやいたあの感触は、今でも残っているという

どれだけ時代が移り変わろうとも決して絶やしてはいけない

伝統の灯、なのかもしれない…。



廃人の歴史 〜Twitter廃人〜