ホッテントリに踊らされるか自分で踊るか


ホッテントリによって自分を見失う人。 - 牛乳工房」を読んで。

ホッテントリによって自分を見失う人。

ブログでホッテントリ入りするような記事を書いてるうちに、自分が何を主張したいか分からなくなってホッテントリ入りを目指す様な記事を書く様になってしまうこと、なのかな?


価値を数値化してしまうこと自体もさることながら、書き手にとっての価値がわかりやすいだけに抗い難いってところが、もうね。余程自己を確立している人じゃないと対抗しがたいよね。 ネガコメは書き手を殺すと言うけれど、ブクマ数やホッテントリに殺されたブロガーもまた数多くいるんじゃないかなと思う。少なくとも僕は、そうじゃないかなと思うブロガーを見かけたことがある。

ブログ記事に付けられるブックマークの数ってのは、数字として見えるからなんとなくそれが評価の点数であるかのように感じてしまう人もいる。

けれど、コメントをよく読めば分かるように同じブックマークと言ってもその記事に賛同してブックマークしてる人もいれば、反対しながらブックマークしてる人もいる。中には、みんながブックマークしてるからと釣られてブックマークしてしまう人や、面白そうだから「後で読む」と本にポストイットで印をつけておく的にブックマークするなんて人達もいる。


ブックマーク数ってのは「その記事になんらかの興味・関心をもった人の数」、であって「その記事を評価した人の数」ではない。



ネガコメが書き手を殺すってのと、ブクマ数やホッテントリに殺されるブロガーっての、後者は殺されるってんじゃなくて踊らされるって方が表現的にしっくりくるような気がする。本当は自分が書きたい何かがあってブログを書いていたはずなのに、いつのまにかブックマーク数を稼いでホッテントリ入りするのが目的となっているってのは、まさにソーシャルブックマークに踊らされてる状態だから。



自分が書いた物が大勢に興味・関心を持ってもらえるってのは嬉しいことだから、自分のブログの被ブックマーク数が増えたりホッテントリ入りする記事が増えるのも嬉しいことなのだけど、ブックマーク数を稼ごうとみんなの興味を引くことばかり考えてしまう(=踊らされてしまう)記事を連発するってのは、狼少年が「狼が来たぞーーー!!」と何度も騒ぐ様を想像してしまう。

何度も叫んでるうちに、「ああ、あの人はいつもああだから」と狼少年のレッテルを貼られてしまう。



ブログはせっかく自分の考えを書く事ができる場なのだから、踊らされる(自分の考えではなく、人の興味を引くための内容を書く)よりは、自分の意思で踊る(自分の考えを綴る)場としたい。


極端な話、将来は「偏差値で子供の価値観をはかるのはおかしい!」なんて意見と同じ論調で「ブクマ数で人間の価値をはかるのはおかしい!」なんて言い出す人も一般的になってくるんじゃないかな。

極端な話っていうか、最初からブクマ数が人間の価値になるってのは間違いなんじゃないかと。分かりやすい数字が見えるだけに勘違いしてしまう人が多いってだけで。