ネットを知るまで息苦しかった昔


twitterとブログと独り事 - 花見川の日記」を読んで。

昔っから、何かに入れ込むと一人夢中になってて、どこかにその熱い想いを吐き出したいけど、現実じゃそんな話し相手も見つからず。

どこかにいる自分と同じ想いを共有できる人を見つけて、その人達と語りたいって欲求は子供の頃からずっと持ってて、中学時代の頃にはまってたパソコンでも、今のネットみたいことができないか?と思いつつ、まだまだ時代が早すぎた。



それからしばらくして、大学で卒論書くのに自分用のパソコンを買い、自宅にそれを持ち帰ってからふとその昔の想いを思い出したら、もうパソコン通信なるものが現実として利用できる時期になってて、すぐに飛びついてあっという間にはまったのが12年くらい前。



パソコン通信の後にはそのままインターネットにもはまっていったが、私がネットに求めてたのは「現実にはなかなか知り合えないけど、どこかにいる自分と同じ話題に興味を持ってる人達と語り合いたい」ってこと。

自身一人でいて何か考えてるって行為が子供の頃から好きで、言うなれば自分との対話が好きだった。 ブログが出てきて、最初はコミュニケーションツールか何かと俺は思ってたんだけど、「これ(ブログ)で独り事を言ってもいい環境がある」って気付いたときはすごく嬉しかったんだよなあ。前にも書いたことがあるけど、なんかその独り事に対して他人が賞賛にしても罵倒にしてもちゃんと見てくれている、という点がありがたかった。

ネット上に何かを書くのって、独り言って感覚はあんまりない。


人から見たら、独り言って感じなのかもしれないけど、普段自分の頭の中で考えてることが漏れてるって感覚が近い。Twitterとかでは、なんとなく思ったことをつぶやいたりしてるので独り言なんだけど、ブログになると書いてるのと考えてるのがほぼ同時で、考えてることをそのままウェブ上に書き記して残しておく、そんな感じ。



自分から、自分の頭の中にあることをこうやって何らかの手段でネット上に残しておけば、それに興味を持ってた人や持った人が、向こうからコミュニケーション取って来てくれる。現実じゃどんなに大声で叫んでも、ごくごく周りの人にしか聞こえないけれど、ネットなら場所や時間の壁を超えて、大勢の人に書いたことを見てもらえる。



ネット上でそうやって同じ話題を共有できる人を探すって行為は、まるで潜水艦が深海中でアクティブ・ソナーを打ってるようだ。

気をつけないと魚雷打ち込まれかねないとことかもそっくりw