ネットで広範囲とやりとりするときのコミュニケーション


ねとらぼ:SNSのあしあと“踏み逃げ”を嫌うのは「社会人既婚男性」 - ITmedia News」を読んで。

もうネットコミュニケーションに関する定番話題になった「踏み逃げ」「読み逃げ」に関する話題。



この手の「「踏み逃げ」「読み逃げ」を嫌う」ってのは、何もSNSが出て来てからの話題じゃなくて、1990年代後半の個人ホームページブームの頃から存在してる現象で、たぶん遡ればその前にも同様の現象は存在してたと思われる。


過度の反応を求めてしまう人


個人ホームページが流行りだした当時、多くの人がネット上に自分のホームページを開設したけれど、そこで独自のオリジナルな内容を展開できる人は一部で、定番ネタである「プロフィール」「日記」「掲示板」くらいでコンテンツが終わってるホームページがそこかしこに溢れていた。

SNSのあしあとってのは何も特別なものじゃなくて、普通のホームページでもアクセス解析を付ければどのように自分のホームページがアクセスされているかが分かる。あしあとってのは、アクセス解析をよりユーザーに分かり易い形で見せてくれるもので、あしあとがないブログなどでもアクセス解析でアクセスの様子を知ることができる。



で、個人ホームページが流行った時期にトップページで良く見かけたのが、「読み逃げ禁止!」「見ているのは分かっています、見たら掲示板に何か書き込むこと!」といった台詞。

自分のホームページを見た人に何か反応してほしい、って気持ちは分からなくもない。ホームページを作るって行為は何かしらの他人の反応が欲しいってのが作る理由の一つだから。

でも、反応ってのは見た人から無理矢理引き出すものじゃないし、そもそも反応したくなるような内容が無ければ見た人も反応しようがない。掲示板だけ設置されたホームページで「読み逃げ禁止!見たら書き込むこと!!」って言われても、いったい何を書き込めというのか。



ネットによるコミュニケーションを使い始めた時期には「通りかかりました。ホームページ頑張って!」みたいなたわいもない書き込みが嬉しい時期もある。でも、ネットによるコミュニケーションが面白いのは、興味を持った対象に対して言葉を発してコミュニケーションを開始できるという可能性があるからであって、問答無用に通りかかった人全てに返事しろ!というお仕着せがましいやりとりから得られるものではない。

ネットを始めたばかりの人、ネットに過度にリターンを求める人なんかは、反応が欲しすぎるがあまりにこの罠にはまってしまいがち。


一対一のコミュニケーションイメージを広範囲に向けて発信してるときにも適用してしまう人


SNSのあしあとに対する「「踏み逃げ」「読み逃げ」を嫌う」人達の場合には、Web上のコミュニケーションをメールでの一対一のコミュニケーションのそれと同一視してる人もいるような気がしている。「メールを送ったのに反応しないなんて失礼!」と同じ様に「あしあとつけたのに反応しないなんて失礼!」という。

メールの場合は明確に送り先が指定されているが、SNSを含めたWebの場合は範囲の差こそあれ(SNSだと知人限定〜SNS内、オープンなブログなどだと不特定多数)誰が読むか分からない広範囲な人々に向けて書いた物を公開している。


このように広範囲で書いた物を公開してるときには、それを見た人全てから反応がくるなんてことはまずあり得ない。広く大勢に発信できるということは、反応も返ってきにくくなるということの裏返しでもある。

ネットが普及して、我々はあちこちでいろんな人が書いた物を見ることができるようになったが、見る度にいちいちコメントを返さなければならないとしたらそんな面倒なことはない。


相手の行動を縛りたい人


SNSで知人限定で日記を公開してて「あしあとつけたのに反応が無い!」と言う人達の中には、とにかく相手の行動を把握したい、縛りたいって人もいるだろう。交際相手の携帯電話やPCのメールを盗み見するというのにも通じる。


自分の書いた物を読んだ人に反応を返して欲しいという気持ちは誰しもが持つものだが、それはあくまでも「反応を返してもらいたい」という自分の願望であって、それは他人に強制するものではないはず。


自分が他人が書いたものに反応を返すときはどんなとき?


自分が他人の書いたものを見て、それに対してのコメントをつけるときってのはどんなときだろう?


何かしら自分の心が動かされる部分があった、思う所があった、間違いを正したい、批判したい、いろんなシチュエーションがあるだろうが、基本的に読んだ物に対して何らかの興味(好印象、悪印象どちらも含む)を抱いたからだろう。

興味が沸かないものには何もコメントすることがないはず。


興味がないのにコメント(反応)を強制されるとしたら、それは苦痛でしかない。


ネットという世界でのコミュニケーション


人と人とのコミュニケーションは、互いへの興味という衝動によって成立しうるもので、片方が興味をもっているが、もう片方は持っていないという非対称な関係の場合にはコミュニケーションが成立しない。

その人や発信してる内容そのものに興味が無い場合もあれば、その人が外に向けられる興味の総量は限界があるがゆえに、相対的に興味が低い人、内容に対して興味が薄くなるって場合もある。



ネットという手段を得て、幅広い範囲へと自分の興味を向けられるようになりはするが、それは自分が誰かの興味対象になるということと直結する訳ではない。ネットという広大な世界の中では、大勢の人がいろんな内容を発信してるので、単に発信しただけでは埋もれてしまう。

広範囲に目を向けられるようになったが故に、その見えてる範囲の中でより目立っている対象に興味が引き寄せられる。誰かと誰かのコミュニケーション(ネット上のやりとり)が公開されていれば、それはおそらく一人単独で何かを発してるよりも目立つだろう。大勢とコミュニケーションを取ってる人は、自然と目立っていくことになる。



ネットで大勢の反応を得たいと思うときに取るべき戦略は、他人の視野に強引に入り込むスパム的な行動ではなく、自分の興味を外側に向けて、大勢とコミュニケーションを取って目立つことだろう。

ただ、目立ちたいがあまりに相手を挑発して興味を得るような方法は、目立ちはするけれど信頼は得られないということは忘れない方がいい。