ネットを利用する目的は人それぞれだが、それでも我々は共存している
「CONCORDE: 拒絶はしないにしても、成長や生産的であることを「ネットする」目的にはしないかな。」を読んで。
そもそも本人が成長したがってるかどうか?という根本的なところもあり、ネットをストレス発散の憂さ晴らしの場として捉えている人はそもそも成長は望むべくも無い。
ネット上は二極化しがちだけど、あなたはどちらに向かいたい? - 北の大地から送る物欲日記
って部分がえらい言われようとのことでしたが、ネットをストレス発散の憂さ晴らしの場として捉えている人はネットで成長しようなんて望んでいませんよね? それを書いたまでなのですが。
何度も書いていますが、こういうところでがちゃがちゃやるのって圧倒的(とはいわないまでも)多数にとっては「あくまで趣味娯楽の領域」のこと、じゃないんですか?
拒絶はしないにしても、成長や生産的であることを「ネットする」目的にはしないかな。: CONCORDE
そこをちゃんと踏まえて欲しかったりはするのです。
こんなところでまで「勤勉」や「目的意識」にとらわれにゃならんのか(まぁリテラシーはともかくとして)。
"こちら側"からすれば、ブログに限らずネットワークコミュニケーションを生産性とか投資効率とかいった類の概念で考えたり評価したりするのは頼むから止めてほしいと言いたくなるのです。
そんな概念からは対極にあることをやってるんですよ。だからこそ楽しいんじゃないですか。頼むからそんな概念で覆うなんてやめてほしいんですよ。
ネットはTristarさんが言うところの「あくまで趣味娯楽の領域」という"(Tristarさんにとっての)こちら側"が圧倒的多数で、ここで楽しくやってるのだから、ネットワークコミュニケーションに生産性とか投資効率とかいった類いの概念を持ち込むのは止めて欲しい、とそういうことでしょうか?
「そこをちゃんと踏まえて欲しい」ってのは、圧倒的多数派はこちら側なのだから、空気読んでおかしなことを言い出さないでくれる?ってこと?
だから、ね。
拒絶はしないにしても、成長や生産的であることを「ネットする」目的にはしないかな。: CONCORDE
切磋琢磨とのほほんが、オープンにフラットに、まったくわけ隔てなく混じりあってるから揉めるんでしょ、むしろ積極的に棲み分けたらどうよ、って書いているのですが。
Tristarさんは積極的に棲み分けたらどうかと書いていると言われ、確かにそういう記事をいくつも書いておられますが、上述の部分を見ると、「ネットを使って成長しようなどと思う人々はネットがそういう場じゃないと踏まえるべき、そういう主張をするのも止めてもらいたい」と棲み分けではなく閉め出しを主張しているようにしか見えません。
「ネット上は二極化しがちだけど、あなたはどちらに向かいたい? - 北の大地から送る物欲日記」は、どちらに向かいたい?という問いかけを書いたエントリですが、「ネットで楽しく成長とか考えずに過ごす人にネットから出て行け!」というようなことは言っていません。
「ネットではそういう成長を望むのは無理だろう」という主張なら分かりますが、「ネットで成長とかそんなの望んでない人が圧倒的多数派だからありえない、そんな主張をしてくれるな」と言われても困ってしまいます。
ネットという場をどういう場と捉えるかは参加してる人それぞれで、自分が何かを成し遂げたり、身につけたりするような成長をしたいって人もいれば、楽しければいいやって人もいるでしょう。参加者ごとに目的が違うのだから、時には互いの主張がぶつかり合うこともあるでしょうが、それは自由に自分の主張が行える代償なのでしょう。
ネット上において、成長派と楽しく派(ずいぶんとあいまいな分類ではありますが)の棲み分けを唱えるTristarさんが、成長派に対して成長するにあたっての話をしている所にやってきて「私は楽しく派で、ネットというのは我々が圧倒的だから成長うんぬんなんて話すべきじゃない」と言ってしまうのがどうにも理解できません。棲み分けしようといいつつ、相手を排除しようという。
ネットにおいて、成長派のような考え方や行動をする人が少数派なのは、こうやって主張する我々も重々承知しています。それでもなお、我々がネットに対して思っている理想を発言しあい、同じ考えを持つ人達に向けて発信しているのは、我々自身はそうやって行動しているし、それが我々の想いだからです。
こうした主張を書いたところで、成長派と楽しく派のバランスが成長派<<楽しく派となっていることはそうそう簡単には変わらないでしょう。残念ながら、Tristarさんが危惧するネット上が成長の概念で覆われるなんてことにはなりそうもありません。
それでも、自分の考えをネット上で主張するのは、反対の主張を持つ人にやめろと言われてもやめられそうにありません。その逆が行われていることからも分かるように。