私がtwitterを続けてる理由


私がTwitterに参入しない理由 - Ohnoblog 2」を読んで。


ふと気づいてみれば、毎日どこかしらで見掛けるようになったTwitterという言葉。流行り出したら使ってみようと思う、的な人達が大勢いる一方で、明確に自分なりのこだわりがあってTwitterを使わない人達もいたりして、そういうTwitterを使わない理由を読んで自分はどうだろう?と考えるのが面白い。

Twitterはこうだ、こうやって使うんだってのはもう山ほど読んできたからかもしれないけどw



Twitterに参入しない理由を考察してる人がいたので、それを読みながら自分の場合を考えてみる。もちろん、これは私の場合であって、別にどっちが正解とかではない。

自分の行動記録(ライフログ)を残したい

日常の行動をなぜ逐一呟くのだろう。みんなこれまでそんなに、他人に自分の些細な行動を知らせ、反応してもらいたいと思っていたのだろうか?と、最初不思議に思った。

私がTwitterに参入しない理由 - ohnosakiko’s blog

何故Twitterで呟くのか。


誰かに反応してもらいたいから、というのはもちろんあるのだけれど、それだけで呟いているわけではない。自分なりのライフログ(これは自分の行動だけではなく思考や見たり聞いたりしてるものまで含め)みたいなものを残したい、とどこかで考えてるから呟いてるんだと思う。

朝置きて「おはようございました。」と呟くのは、フォロワーのみんなに挨拶してる、だけではなく、自分が起きた時間を記録してる。


ブログよりも細かい単位で自分の考えを書き綴る

日常のことを含め何か書きたい時は、ブログを使っている。自分のブログは日記ではなく読み物と考えているので、構成を考えオチを考えるのが楽しい。書くのには結構時間をかけるが、読み手には気軽に一気に読んでもらいたいと思う。

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昔、Web日記が出て来たときは「なんで日記を世界中の人に読ませたりするんだろう?」と思い、楽しそうにWeb日記を書いている人のことが全く理解できなかったが、それは日記=自分だけが読む文章という固定観念が自分の頭の中にあったから。人に読まれることを前提とした日記、読ませる日記、また人に提供する読み物、と考えられる様になってからは、普通にWeb日記を書けるようになり、それはその後ブログと呼ばれるようになった。


Twitterでは自分の行動を書く事が多いが、たまに自分が頭なの中で考えてることをつらつらと書き連ねることもある。そういうときは140文字を超えてしまい、なんとか収まるように分けて書いたりもするが、まあ、段落ごとに書いてると思うと、それほど苦労せずぽつぽつと自分の考えを書く。

これは、通常のブログで書くエントリよりも遥かに短い分量で思考をある程度小分けにして書いてる訳だが、Twitter上ではある程度の長文(100文字を超えるような発言は文字の塊となるので結構目に止まりやすい)となるような呟きに対しては、結構レスポンスが返ってきやすいように思う。かくして、いくつかの長文呟きをぽつぽつと書き込んでいると、いくつもの反応が返って来ていたりする。


ブログでいうところのトラックバック付きでちゃんと書いた文章に反応してくれてるような応答が、たったの数十秒から数分くらいでぽつぽつと返って来てくるのは、早くても数時間から数日かかるブログのそれと比べると格段に早く、また、それらに対して自分の思うところを返信してたりすると、思っても見なかった方向に話しが展開したり、短時間でかなり深い話題の展開になったりすることもある。



そういうやりとりは、Togetterみたいな発言をまとめるサービスなんかで残されない限りはその場限りで流れてしまってもったいない、と思ったりもするが、ブログとは違うサイズ、時間軸で盛り上がれるというのはそれはそれで非常に面白かったりする。


Twitterのタイムラインはたまに気になってつけるテレビみたいなもの

followingが何百人、何千人とある人がいる。何千人もフォローしているということは、膨大な数のtweetが自分のタイムライン上に流れてくるということだ。もちろんそれを全部読む必要もないんだろうけど、面白い情報や有益な情報を得たりやりとりするためにフォローしているのだから、一通りは目は通すのだろう。それだけでも私から見ると大変なことである。

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何百、何千人もの数をフォローしてる人達というのは、一部の例外を除いてタイムラインを全て見てる人はいないと思う。もちろん、何らかの面白い情報や有益な情報を得たり、コミュニケーションを取ってもいいな、と思ってフォローしてるのだけど、タイムラインの全てを見ようとは思わないし、実際に見る事ができる量ではなくなってる。

新聞を取ってる人がその紙面全てを隅から隅まで読んだりはしないように、気になる部分だけを読む感覚。ちょっとした時間の空きとかにタイムラインを眺めて、気になる呟きをチェックする。別の言い方だと、テレビをつけて、チャンネルをザッピングして面白そうなチャンネル(番組)を見つけたら見る、みたいな感じだろうか。


Twitterであるアカウントをフォローするというのは、自分にとってはその人が発する情報を全て見よう!と言うのではなく、その人の発する情報が自分のアンテナのどこかにひっかかる確率をちょいとだけ上げておく、くらいの軽い気持ち。


リアルとネット上のコミュニケーション

結局、リアルで感じるコミュニケーションの煩わしさと同様のものがweb上にもあり、Twitterでも似たようなことは起こっているのだろう。

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Twitterに限らず、ネット上のコミュニケーション全てに当てはまる話だけど、リアル(現実世界)でのコミュニケーションとネット上でのコミュニケーションの違いは何か?というと、コミュニケーションに使っている手段が違う、これに尽きる。手段が違うので全く別物に感じてしまいがちだけど、コミュニケーションしてるのは人と人なので、リアルでもネットでもつきつめれば同じ。楽しい部分もあれば、煩わしい部分もある。リアルでもTwitterでも似た様なことが十分起こりうる。



リアルでのコミュニケーションにおいて、人と話すことは別に嫌いとか苦手という事は無いが、知人といつも連絡を取り合う、みたいなことに関してははっきりと苦手意識がある。マメに電話したり手紙を出したりして連絡を取りあう、みたいなのはどうも面倒で続かない。ネット上で自分に関する情報は発信しておくので、興味がある人だけ見てってもらうのでかまわない、とかなり真剣に思う。

ある人が誰かとのコミュニケーションにかけられる時間や労力というのはある一定の量しかない。さまざまな手段を使いこなすことで、その一定の量を増やすこともできるが、それでも限界はある。興味がある人とは多くコミュニケーションする一方で、それほど興味が無い人とのコミュニケーションはそれなりの量しか割り当てることはない。



リアルでもネットでも、自分にとって大事だと感じた人達とのコミュニケーションが最優先で、それ以外はそれなりに。そんな感じで繋がれればいいと思ってる。だから、Twitterでフォローしたくらいで繋がってるという感覚は無かったりする。


自分がTwitterに求めているもの


自分がTwitterに何を求めているのか?、と考えてみると、「自分が面白い、有用だ、と思える情報と触れ合える可能性」「自分への反応を得る場」のふたつ。


前者はあくまでも可能性、なので、別に100%逃すものか!と血眼になってタイムラインを眺める気はさらさら無く。そして、後者はどこかで自分に興味を持ってくれた人達とコミュニケーションを取れる場としてのTwitter。もちろんブログのコメント欄やメールでもかまわないのだけど、気軽にという点ではtwitterが一歩抜きん出てるように思う。それは、自分が接点のない誰かにコミュニケーションを取るときの気楽さを考えてみると分かる。



ネットを初めて、Webブラウズを除くと最初に日常的に使うようになったのはメールだった。その後、ホームページ作成からWeb日記、ブログと移り変わりながら自分の情報発信の場を得、そしてtwitterではもうちょっと細かい時間軸、断片での発信を行えるようになった。もう3年以上使い続けてきて、これからもtwitterのサービスが続く限りは使い続けるんだろうな、と思う。