ウェブ上での相手の呼び方
「コデラノブログ4 : いわゆる「呼び捨て」問題について - ライブドアブログ」を読んで。
Twitterで著名人を呼び捨てにするのはどうか、という議論を読んでの話。
昨日だったか一昨日だったか、Twitterで著名人を呼び捨てにするのはどうか、という議論が散見された。特にTwitterのようなサービスでは、その著名人本人がその発言を見る可能性も高いわけだから、呼び捨てはどうか、という感覚が生まれるのは、極めて礼儀正しいというか、常識的な話だと思う。
コデラノブログ4 : いわゆる「呼び捨て」問題について - ライブドアブログ
ネット上でのコミュニケーションにおいて、相手のことをどう呼ぶか?と言うのは、結構ナーバスな問題だったりします。ネット上では実際に面識がない相手に話しかけたり、話しかけられたり、なんてことは日常茶飯事な訳で、その時に相手をどのように呼ぶかってので問題が起こることも少なくありません。
初めてやりとりする相手を呼び捨てで呼んだり、なれなれしいため口で話しかけたり、というのは、人によっては結構抵抗をもたれたりします。ネットでは、互いの相手を知る情報量が大きく偏っていることも少なくありませんから(有名サイトの運営者はいろいろと有名で知られているけれども、その運営者から見るとそのサイトを訪れてコメントを初めて書く訪問者のことはさっぱり知らない、というような)、自分が相手の事を知ってるからって、つい馴れ馴れしく話しかけると煙たがられるかもしれません。
話題にするときと会話するときの違い
今回読んだ記事で挙げられているような「Twitterで著名人を呼び捨てにするのはどうか」ってのは、いままではブログなどで記事を読んでコメントしたりしても実際に会話になることなんて無いと思ってたような人達が、著名人のことを軽々しく呼び捨てなどで呼んでたら本人が登場した!なんてシチュエーションが想像できます。
Twitterのような話しかけたりかけられたりが起こりやすいサービスなら、ありえそうな話。
著名人のことを、一般人とは会話することなんて無いであろう雲の上の人と捉えるか、webサービスで繋がることができる相手として捉えるか。
自分と絡むことなんてあり得ないだろう相手だと考えて一般の会話の中で呼ぶなら、普通に呼び捨て(固有名詞)で呼ぶのは普通だけれども、Twitterのようなwebサービス上などどこかで繋がって会話するようなシチュエーションになると、呼び捨てのままってのは違和感があります。
普段、繋がることがあり得ないような相手とやりとりする機会が急に訪れたりするネット上のやりとり、あまりに違う世界同士を結びつけるために起こる問題(すれ違い)は、こういう互いの呼び方以外にもいろいろとありそうです。