ネットによる情報革命で変わって行く都会と地方


最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 - シロクマの屑籠(汎適所属)」を読んで。


最新情報を追いかけてないと夢が萎んでしまう、ってのは、「ネットにせよテレビにせよ、さまざまな情報入手手段で知る事ができる最新の商品や文化を購入したり体験したり参加したりする」=「夢を実現する」という構図なんだろうけど、まあ「夢」と言ってしまうとちょっと大事な感じで「日々の楽しみ」くらいならああなるほど、確かにそういう人達はいるかもね、という。


ネット通販で広がった商品購入の幅


ここ20年ほどで以前には存在していなかった「ネット」という情報入手手段が出現したことで、さまざまな情報は低コストかつ容易に入手できるようになり、次から次へと新しい情報に触れることができるようになった。


商品の購入も、いままでのような自分の住んでいる地域にある店舗から購入するだけではなく、ネット上の通販サイトからありとあらゆる商品を家に居ながらに入手できるようになった。この「商品の購入」に関しては、ネット存在以前と比べるとその自由度は格段に上がっており、あちこちの名産品を取り寄せてみたり、以前は専門店に行かなければ入手できなかったようなマイナーな商品を購入したりなんてことが可能となっている。


また、どういう商品を購入するか?という情報についても、テレビや雑誌などから情報を得ていた時代からネット上でよりリアルタイムに流行情報を入手できるようになって、商品消費のサイクルはより早まったし、以前は身近な人々からしか知り得なかった口コミ情報がネットを通じて全国のあちこちの人達から参照できるようなって、ある商品が売れるときの盛り上がりが以前より大きくなったように感じる。



そんな感じで、ネット出現以降、商品購入に関してはさまざまな情報からより多くの商品を選ぶ自由を得たし、実際の購入もより多くの種類の商品をより迅速に入手する事が可能になった。都会と地方だと、商品が届く日数が少し違ったりするけれど、商品を購入するということに関して、都会と地方の間にある差はネット出現以前よりは小さくなっているように思う。


イベントや人との出会い


一方、都会と地方の差を大きく感じるのは、イベントだったり人との出会いだったりという部分だったりする。



商品の購入だと、一部の生鮮食品などを除き全国どこに居ても問題なく購入できるが、ことイベントとなると実際に開催される場所に自分が行かなくてはならないため、人が多い都会と少ない地方の差がはっきりと出る。イベントに参加することが好きな人の場合には、都会に住むことのメリットは非常に大きいというか、都会に住まないと夢が萎んでしまう状態になるだろう。



ネットを通じて、距離や立場、年齢などを飛び越えていろんな人とコミュニケーションできる時代になったとは言え、実際に直にその人と出会うというのはまた別な意味を持つ。いくら同好の士をネット上で簡単に見つけらても、実際にそのような人達と出会おうと思うと人が大勢住んでいる都会の方が地方よりはずっと恵まれている。この差はいかんともしがたい。


都会から地方に移り住んだ人の視点


都会から地方に戻って来た人の感想として、「地方に夢なんかない、あるのは絶望だけ - SKiCCO ALTERNATiVE」を読んだ。

地方には絶望的に仕事が無いのだ。人も少ない。とりもなおさず情報というのは人の事だから(人がいないところに情報は生まれない)、情報がなければ夢も見れなくなる。

http://d.hatena.ne.jp/skicco/20100425/p1

都会に住んでたって仕事がないこの時代、地方の仕事の無さは確かに絶望的ですらある。そして、情報は人から発信されるものなので、人が少ない地方は発信される情報はとても少ない。

人のいないところで最新のガジェットを使うことほど虚しいことはない。

http://d.hatena.ne.jp/skicco/20100425/p1

ネットで情報発信したり閲覧したりするのは、何かしらの情報を人とやりとりするためでもあるので、人の居ないところで最新ガジェットで最新のネットサービスを使うというのは都会でそうするのとは全く違う側面を持つ。


例えば、今流行の位置情報サービス、自分が移動した先の位置情報を記録・共有するサービスなのですが、都会でこれらのサービスを使うと、おそらくは自分が居る場所に近いスポット(位置情報を登録する地点)の情報がわらわらっと出てくるであろう状況に対し、地方だともうまっさら、私の場合にはFoursquare、gowalla、はてなココと3つの位置情報サービスを試していますが、そのどれでもスポット登録し放題です。というか、自分以外にスポットを登録している人の存在がほとんど見えない。(半径数十キロ圏内だと数名くらいは居る模様)

出先で誰かが先にスポット情報を登録しているのを見つけたときの「ああ、ここに誰か来たんだ!」感はたまらないものがある。



たしかに最新のガジェットなりネットサービスなりを使って誰かとコミュニケーションしようと思うと、かなり寂しい思いをするかもしれないけれど、逆に人が少ないからこそ味わえる楽しさもあるのかな、というのはちょっぴりは感じたりも。


都会と地方の違いとして


「終わらない歌」としての東京・地方問題 - Welcome To Madchester」を読んで。


都会と地方の違いというのは、両方に住んでたことがあったり、実際に訪れてみたことがあったりすると気づくけど、実際ものすごい。



うちは地域全体で15万人くらいの北海道の一地方だけど、公共交通機関(鉄道・バス)はここ数十年でかなり便数は減り、値段は上がった。仕事も生活もレジャーも自動車があって初めて成り立つ。地域の繁華街?でも夜8時にはもう真っ暗、というかかつての繁華街はほぼ消滅し、人は郊外型の集合ショッピング施設(大型スーパー、書店、家電量販店などが揃ってるアレ)に集まる。

札幌まで車で高速を使えば1時間半程度なので、イベントもの(ライブやスポーツ観戦などなど)は札幌に行く事が多い。札幌には15年ほど住んでたことがあるが、都会と地方のバランスがかなりうまく取れている都市だといつも思う。(地元に20年、札幌15年、東京に2年ほど住んでの感想)



後、以前にも書いたけれど、地方では都会と違って最新情報に溢れていないので、そもそもネットを使うような人々が少ない→ネットに情報でていない→不便→だからネット使わない、というスパイラルが回ってる。


都会と地方の差が見えてしまう問題


と、ここまで書いて来たような都会と地方の差というものが、ネットを通じてありありと感じられるようになってしまった、というのも問題としてある。最新のもの・流行のもの、を求める人達にとって都会は眩しく輝いており、地方には言い様の無い閉塞感が漂っている。


そんな地方ではあるが、たまに何かである地域が盛り上がったりするときの起点やブームの広がりはネットを通じて行われている。いままで知られていなかった地方が一気に知名度をアップさせるなんてことが起こりうるのもまた、ネット上だったりする。自分の地元で当たり前だと思ってたことが、それ以外の地域ではめずらしくて面白がられたりとか。



都会にせよ、地方にせよ、これからの時代で強いのは自ら情報を発信していくタイプの人だろう。ネットからの情報を総受身で楽しむだけでなく、自分から楽しさを探して実行、発信していけるような。

受身な人には都会が住みやすく、地方は住みづらいだろうが、自分で楽しみを探すタイプの人は都会・地方はそれほど関係なく人生、楽しんでるような気がする。