危険ゾーンに近づくほど自分では判断できなくなっていく

「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」 - 琥珀色の戯言」を読んで。

「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」
たしかにその通りなんですよ。
でも、他人には「もう仕事辞めたら」ってアドバイスできても、自分のこととなると、なかなか「限界」ってわからないし、自分の「限界」を認めるのは難しい。

2011-01-26

自分がこのまま今の仕事を続けて行けるのか?もう限界なのか?と自分で判断するのは、限界に近づいて行けば行くほど判断できなくなっていきます。



「まだ自分には出来るはずだ」


「過酷な環境での努力がどこかで報われるんじゃないのか?」


「どこに行ったって同じ様に苦労はあるだろう」


「今までこの仕事にかけてきた努力はここで止めてしまったら全て無くなってしまう」



思考は堂々巡り、体は言う事を聞かず、まともに判断する気力すら失われていく。




ちょうど3年ほど前に体調を崩してまともに仕事が出来なくなって、前職を止めたときの私の状況もまさにそんな感じでした。



その当時の自分を客観的に見る事ができたら、どう考えてももっと前に仕事をやめておくべきだったのが、一旦仕事を止めてしまうと次が無いという状況や、無理がたたってまともに動かない体もなんとか持ち直せるんじゃないかというありもしない期待にかけて、結局余計体を壊してしまって、仕事を続けられなくなりました。



しなければならない仕事がある、でも体が言う事を聞かない、でも仕事は待ってはくれない、徒歩5分のはずの駅まで30分近くかけて行くが通勤のための電車に乗れない。

駅のホームで1時間以上、電車に乗れずにホームのベンチに座り尽くしてた日もありました。



這う様に職場に行ったとしても、歩くのも座るのもつらくて頭も回らず、作業らしい作業もほとんどできず。



当時は、たぶん、肉体的にだけじゃなくて精神的にも自分でストップをかけてたんでしょうが、自分の中の仕事をしなくちゃ、という思いとそれにノーを出す自分の肉体や精神的なモノとの葛藤は、今思い出してもゾッとします。



「死にたい」とは余り思わなかったけど、当時はとにかく「動けなかった」。実際に腰痛が酷く悪化して、一時期は歩くのもままならないほどだったのに加えて、精神的にもやがかかったようで何かと次の一歩が踏み出せないことが多かった。

当然、まともにものを考えることが出来なかったあの当時には「仕事を辞める」という判断を自分で下すことが出来なかった。



ああいう状態に陥る前に自力でそこを脱出するか、周りがそういう状態にはまってると気づいて警告してあげられないとダメなんでしょうけど、ね。一旦、危険なゾーンに近づいてしまうと、自分では判断できなくなります。





仕事と健康を失いはしましたが、あれから3年、肉体労働系は無理だけど軽いデスクワーク系ならなんとか常勤をこなせるくらいには復活しています。仕事辞めて実家に戻った後は数ヶ月寝たきりな生活を送ってましたが。




自分の命より大事な仕事なんてないとは思いますが、自分の今までの人生とか背負ってるもの、プライド、いろんなものが絡むと、判断すべきところで判断できなくなってしまうってことは、普段健康で普通に仕事ができてるうちに知っておくべきことだと思います。