「コミュニティ」から「ソーシャルメディア」へと広がりを見せつつ拡大していくネット社会

「コミュニティ」と「ソーシャルメディア」の違いとは? :Heartlogic」を読んで。


「コミュニティ」と「ソーシャルメディア」の違いについてのエントリ。



ある「場」があって、そこにみんなが集まる形で形作られる「コミュニティ」ってのは、パソコン通信の時代でいえばNifty-serveで言う所のホームパーティ(HP)やPATIOとかの個人会議室的な空間を思い浮かべます。今だと、mixiにはそのものズバリ「コミュニティ」が存在します。



一方の「ソーシャルメディア」はちらほらと見かける単語だけど、自分から使ったことは無いのでwikipediaを見てくると

ソーシャルメディアは、インターネットやウェブに基づく技術を用いて、 ブログやtwitterのつぶやきのような一方方向の独り言を多くの人々に伝えることによって、 多数の人々が参加する双方向的な会話へと作り替える。

ソーシャルメディア - Wikipedia

とあります。


個人が情報発信してるものがネットワークを形成して、そこで双方向的な会話が行われたりする形を「ソーシャルメディア」と言うんですね。

twitterみたいに自分のつぶやきのページがあり、更にフォローフォロワーの関係で他人のつぶやきも見ることができ、それが双方向に繋がっていくのが「ソーシャルメディア」と。


一方でソーシャルメディアは、「みんな違う」人たちがネットワークを形成している世界です。基本的にはひとりひとり好きな理由で始めて、好きなことをやって、何かのきっかけで繋がり、時には「場」を形成することもあるけども、その中のアイデンティティが全てではない。また場を畳んで個に戻り、また違う繋がりを作り……といったことを続けていきます。

http://www.heartlogic.jp/archives/2011/02/post_574.html

「コミュニティ」が主流だった昔は、「場」があってそこに人が集まることでネット上のコミュニケーションを取る事ができたけれども、それは「場」に依存しており、「場」が無くなるとそこでのコミュニケーションも無くなってしまいました。



さまざまなwebサービスが登場し自分の考えや行動、表現などをいろんな形で気軽に情報発信することができるようになった今では、何か共通の話題をテーマとし特定のサービス上の上で形成される「場」が無くても、いろんなwebサービスを使って自己表現、情報発信することが可能になりました。

この場合、発信される情報の基にあるのは「自分」であり、そこから発信される情報は他の誰かの発信した情報と双方向に繋がってコミュニケーションとなる場合もあります。そういうやりとりがいくつも、何人も集まって拡大したら、どこかに「場」を構えて「コミュニティ」を作ることも可能になります。



かつては「場」が無いとネット上でのやりとりを行いにくかった時代から、多くのwebサービスの登場でより気軽に「自分」をネット上に発信することで、「場」にこだわることなく「自分」を表現できるようになったと。


「自分」を表現する難しさ

ソーシャルメディアに完全な個人として存在するのは、よほどしっかり「自分」を持っている人か、何もしていないつもりでも個性が溢れ出るような人でないと難しいものです。ソーシャルメディアだと呼ばれるブログやTwitterをやっていても、誰とも繋がらなかったらソーシャルではありません。

http://www.heartlogic.jp/archives/2011/02/post_574.html

自力でサーバにファイルをアップロードしたり、手打ちでhtmlを書いたりするスキルが無ければwebサイトを作ることが出来なかった頃はそういうスキルや公開場所がネックとなって「自分」を表現することができる人は少数しかいませんでした。


それがブログみたいに、文章さえ書ければある程度なんとかなってしまう様なwebサービスが登場して来たことで敷居が下がり、更にはtwitterの様にほんの少しの文章を細切れにどんどん投稿していけるサービスが登場したことで、技術的なスキルの問題はかなり無くなりました。



ただ、何かを情報発信して「自分」を表現する、ということは、何かしら自分の考えなり、発信したい何かなりが無ければそもそも始まりません。



ソーシャルメディアで「自分」という存在を出すには、そういう内から溢れ出る何かを持ってることが必須条件になるので、受身がちに生きていて外に何かを出す欲求が少ない人や、外に向けて発信できる何かを形作る経験そのものが少ない若い人達などは、なかなか参入しにくいでしょう。

逆に、内から溢れるものが止まらない様な人達はもうほっといたっていろんなサービスを使って情報発信を始めてるはずで、ブログやtwitterSNSなどの流行はそういう人達から起こっているのに間違いありません。


現在の社会の性質には、気候や辿ってきた歴史の違いから、地域によってさまざまな違いがあります。しかし、将来全世界に均一な「インターネット」という環境が提供されたら、「ネット社会」の性質は世界で均一になるのではないかと。

http://www.heartlogic.jp/archives/2011/02/post_574.html

情報発信という自らがコンテンツを作りメディアとなる動きは、「インターネット」の環境が広がり、そこで提供されるwebサービスが増加して発信手段が増え、敷居が下がることでどんどん広がっていきます。



ソーシャルメディアを活用出来る人達が増え、より多くの人が「自分」を「ネット社会」に参加させることで「ネット社会」が形作られます。

そのときにネット上に何らかの情報を公開するのに使うサービスが、それぞれの分野で大多数が使うようなサービスが確立している状態に近づけば近づくほど、世界的に均一な「インターネット」という環境となり、「ネット社会」の基本性質は均一となっていくのでしょう。



そうなったときに「現実社会」と「ネット社会」がどのように重なり、交わっているのかに非常に興味があります。





面白そうなテーマなので、私もこの本を買って読んでみようかな?


日本的ソーシャルメディアの未来 (PCポケットカルチャー)

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