地元室蘭で考える街の移り変わり


40年前に分譲、多摩ニュータウンで解体工事 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」を読んで。

高度成長期に日本のあちこちで作られた分譲マンション、それらはもうそろそろ建物的に寿命を迎えてて補修ではなく立て替えも検討されるんだろうけど、発売時から数十年経ったこういう分譲マンションに住んでいる住民層ってどうなっているんだろう?

購入時には当然若い人が多かったんだろうけど、もうそれから数十年経ってて住んでいるのはシニア層になっているはずで。そうなった時に立て替えなんて言ったって住民の意見が割れまくっちゃってなかなかまとまらなさそう。



今回のニュースの多摩ニュータウンの場合には、立て替え更新時に戸数を増やして、その増やした戸数を新たに分譲販売する資金を使うので、元々住んでいた人々には立て替えに対する負担金はほぼ無いのらしいけど、この手は立地条件が良くて新たに戸数を増やしても分譲できると見込める場所でしか使えない技。

そして気になるのは、新たに分譲する分の販売費を立て替えの資金に割り合てているってことは、新しくここを購入する人達は少なからず前から住んでいた人達の立て替え費用の一部を負担しているのか?ってこと。そうだとしたら、同様条件の新築物件より割高になるはずで、ちゃんと売れるんだろうか?と他人事ながら気になったり。



過去の分譲マンションの更新話ってのは、日本中にこの手のマンションが建てられまくった時代から30〜40年ほど経ち、あちこちで更新時期を迎えるこれからあちこちで起こる話なのかな?と思うも、話まとまらず更新出来ないなんて事例も山の様にでてきそうな気がしている。

これから人口が増えて街が栄えますよ!と人々を募ったニュータウン系の開発地域も、中途半端に人が入ったまま栄えることが無かった場合、過ぎ行く年月と共に地域の年齢層が上がり、商業施設や学校、病院が次第に減少していき、どんどんゴーストタウン化していくなんて例は身近な場所にもごろごろある。


地元室蘭で見る街の移り変わり


一時の勢いで街を急拡大するってのは、狭い地域に似た様な年齢構成の集団が居住することであり、街の栄枯盛衰はその地域の住民の平均年齢で変わりゆくもの。

地元の室蘭は、一番栄えていた頃と比べ人口が半分ほどに減少してることと、この住居エリアが世代で別れてしまうこと、この二つの要因から以前の中心街と言えるエリアの寂れ具合が激しく、おおよそ街中に中心街と言えるべき場所が見当たらない現状。

室蘭市内のほど近いエリアに二つあるショッピングモール(弥生ショッピングセンターとMOURE中島)は街の中心街というよりかは、郊外型のショッピングモールであり、以前栄えていた中央町や中島中心街もかつてと比べると閑散としている。分かり易く言うと、普通人口数十万程度の都市に見られる中心街的なエリアが無いという状況。

これは、もともと重工業地域として発展している地域で、中心街をなすような商業的な産業があまり栄えていないということにもよるのではないかと思っている。



では住宅事情の方はというと、最近は知利別地域が再開発されている様だが、若い人には隣接している登別市の鷲別〜幌別地区の間のエリアの人気が高く、またシニア層には天候が良い伊達市の人気が高いようだ。室蘭は平地が少なく住宅地に適したエリアはもうとうの昔に家が建てられ尽くされており、山間部の白鳥台、八丁平方面への住宅地の拡張は室蘭の人口減が始まった時期(1970年〜)と重なって、ニュータウン形成はうまく行かなかった。

その一方で登別市伊達市への住宅エリアの広がりは1970年〜ずっと続いており、結果、昔からの住民が多い室蘭市内は住宅地も商業地も閑散としていく一方で周りのエリアが活気に満ちて行くというドーナツ化現象が進行しており、郊外型のショッピングモールがドーナツの輪の中に存在している状況となっている。



ある地域が発展していくというのは、その地域にどういう産業があるか?ということに大きく依存する。ここ室蘭地域は言うまでもなく重工業が中心産業で、景気の浮き沈みや製造業の世界的な流れに大きく左右される。

北海道の他の地方都市の例に漏れず、このエリアでも最近は観光方面に力を入れているが、観光もまた景気の動向に大きく影響される分野だったりする。それでも、重工業一辺倒でその浮き沈みにすべてがかかっている状態よりかは、少しでも他の産業を開発しておくのは必要なこと。


これからの時代を動かすために


今後、この地域が盛り上がるとしたら、地域から起こる何か新しい活動的な何かが必要なんじゃないかと思うが、そういう土壌を形成するのに有効な道具となりうるネットの活用はかなり遅れているんじゃないと感じている。地方でよくある「ネットを使える人がいない」「だからネットで何かが提供される事が無い」「地域情報が提供されないのでネットを使う意識が高まらない」のループ構造。


ネットが無い時代から生きてきた人々にとっては、別にネットなんて無かったらないで困らない。でも、何か新しい活動を起こす時にネットほど役に立つ道具はないってこともこの15年で身にしみて体験してきた。そういう自分の体験なり、行動なりを地元に還元して広めて行くってのが、一旦外に出てから地元にUターンしてきた自分の役割なのかな、と。