「何者にもなれない」自分の認識と他人の認識

「何者にもなれない」話をネット上のあちこちで目にするので、書いてみる。



「何者にもなれない」ってどういうことだろう?


パッと考えてみると、おおまかに分けて

  • 自分が思う「なりたい自分」になれない
  • 他人から一目置かれるような「何者」かになれない

辺りがあるのだろうか? 自分の認識と他人の認識。


「自分が思う「なりたい自分」になれない」の場合

  • 「なりたい自分」という目標の到達難易度が高い

子供の時によくある「プロ野球選手になりたい!」とか「総理大臣になりたい」「オリンピックで金メダル取りたい」とかいう目標が分かり易い例。子供の頃はそれがどれだけ大変なことかを知らなくて「○○になるんだ!」と言ったりしますが、成長していくにつれその目標の遠さと自分の実力の差を自覚していき、どこかでその夢を諦めることになる。大多数の人の場合。


  • 「なりたい自分」が見つからない

自分は何をしたいのだろう、どういう自分になりたいのだろう、という問いの答えが見つからないって人。自己評価が低い場合とか、好奇心が低い場合にこのパターンになりやすい。目標にできる人が身近に居ない、というのも「なりたい自分」が見つからない理由になるんだろうか? この発展版として「自分探し」という方向がある。


  • 「なりたい自分」と自分の現実との差

多くの人は、歳を取り成長していくにつれて「なりたい自分」と自分の現実の差を知ることになる。自分の立ち位置や状況、実力が判断できずして「なりたい自分」になれることはたぶんないか、「なりたい自分」が非常にありふれた多くの人に実現可能な状態だった場合。


そして、差を知った後は「なりたい自分」を諦める or 下方修正するか、自分の現実を改善するかを選ぶことになる。



自分の認識における「何者かになれない」問題は、とどのつまり自分の問題である。自分が目標とする「何者かになる」ということにおいて、今の自分はどうなのか、どれだけ離れているのか、自分には何が足りないのか、そこに向かう努力ができるのか、それらを自分と対話しながら判断し、目標に向かって努力する以外の方法でそこに到達できることはない。


「他人から一目置かれるような「何者」かになれない」の場合

  • 自己評価が高すぎる場合

自己評価が高いと、他人から認められない場合に「周りは物事を正しく判断することができないからだ」という認識に陥り易く、そこで成長なり変化なりを辞めてしまうことが多い。


  • 他人が認めてくれる「何か」を持たない場合

あたりまえの話だが、誰かが誰かを「何者」か認識するというのは、その人にとって認めるべき「何か」を持っているから。この「何か」というのは別に特別なことだけではなく、「親身になってくれた」「話しかけてくれた」レベルのことでも「何か」たりうる。もちろん、一目置かれるというようなレベルにはよりいっそう高いレベルの「何か」が必要だけれども。


  • 他人が認める「何者」か、というのが漠然と大きな場合

「ビッグになりたい!」「有名になりたい」、とにかく方法はなんでもいいから名を知られたい的な場合。ネットでよく言われる有名になる手段として「炎上させろ」ってのがあるけど、炎が燃え広がるがごとく勢いで有名になった後にそのまま燃え尽きちゃって終了なんてパターンが多い。




他人から認識される「何者かになる」というのは、他人があなたを「何者かどうか」判断することだから自分の評価はこの場合関係ない。他人の前に何かを提供(もちろん物だけじゃなくて行動やアピールでもいい)して初めて評価の対象になるから、まず他人に何かを提供するというのがスタート。


「認識する」程度の評価ならすぐにもらえるだろうが、「賞賛する」や「一目置く」となるとそれなりに他人の記憶に残るような何かを提供していなければならない。目新しいもの、他にはなかなかないもの、その人が欲しがっているもの、同じ種類の何かの中で秀でているもの、などなど。



この他人から認められる「何者か」になりたい欲が強い、強すぎる、そんな場合は他人から見て空回りしてるなー、と感じられる。それは、何者かを判断するのはあくまでも他人なのに、本人の他人に対する「認めろ」オーラが強すぎて真っ当に判断できない、と感じてしまうから。


「何者かになる努力」をいつまで続けるのか


「自分がなりたい何者かになる」でも、「他人が認める何者かになる」でも、何者かになるためには自分なり他人なりが認める何かを成すために努力しなければなりません。目標が高いほど大きな努力を必要とするし、それが他人との競争となる分野なら多くの競争に勝つ必要があります。



その人がどういう人物でどう評価されているのかというのは、その人が何を成したかで判断されるから、高い評価を得たいのなら大きなことを成すよう努力しなくてはなりません。

他人から認められたいという承認欲求が高い割に他人に認められるような何かを持っていない、自分がなりたい目標が高いのに実力が伴わないといった場合で、そういう自分の実力・立ち位置を正しく認識できないと、ギャップに苦しむことになりそう。



人生において、どこに目標をおいて向上心をもって努力するか、というのは、自分の現状を把握すること・その能力とも大きく関連しているので、たまには自分が何を目指しているのかを考え直してみるのも重要かもしれません。