困難な時代を生きる我々の進む先

困難な時代を生きる君たちへ (内田樹の研究室)
困難な時代を生きる君たちへ - finalventの日記
困難な時代を生きる僕たちへ - 狐の王国

困難な時代ですよ、本当にもう。これだけみんなから困難、困難言われるんだから。まあ、事実として生きにくい時代であるというのは確かにあります。

大雑把にくくれば1990年代のバブル崩壊から後、日本は不景気な時代へと突入しそこから抜け出せないまま今に至るのですが、これを大人になって成長してから体験したのか、大人になった時が正にその不景気突入と被ったのか、生まれた時から不景気な時代だったのか、で困難をどう受け止めているのかも違う。



成功した時代、景気が上向いていた時代を知っている世代、社会に出たものの自分の居場所が見つからずに彷徨い続ける世代、親の世代以上が景気が悪いと嘆くのを見ながらも携帯やネットの普及で精神的な繋がりや安価なコンテンツを得られることでそれほど不自由なく育って来た世代。


我々は、自分が生きている時代以外では生きられない。だから、この変化し続けている激動の時代において、自分以外の世代の経験から自分の世代の成功を導く事は難しいだろう。それほどに時代には変化し続けている。参考にできるものがあるとしたら、それは個々の出来事に対する対処法などではなく、生き方のスタイル、何を自分の中心に据えて生きて行くかという根本的な部分くらいだろう。

そういう時代にみなさんはどう生きればいいのでしょう。私に言えるのは一つだけです。どんな学問や仕事を選ぶにしても「努力することそれ自体が楽しい」ことを基準にして下さい。日々の努力そのものが幸福な気分をもたらすなら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。

困難な時代を生きる君たちへ - 内田樹の研究室

私に言えるのは一つだけです。どんな学問や仕事を選ぶにしても「私にはこれしかできない」ことを基準にして下さい。これしかできない「これ」がわからなければ、死んでしまってはいけないけど、どん底まで落ちてみるのもいいし、友だちみんなちゃらにしてしまうのもいいでしょう。自分の死の形というのをくっきり見つめることができたら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。自分の前に避けがたい一本の道が見えてきたら、それがあなたの人生なのです。

困難な時代を生きる君たちへ - finalventの日記

生きていく上で、「自分が努力する事それ自体が楽しい」「私にはこれしかできない」、そう思えることを選べば、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されようとも、何者にもなれなかったとしても、自分の人生を生きたと言える。それを探さずして、自分を押し殺した選択のままに生き続けていくには、今の時代はあまりに息苦しい。



これから社会に巣立とうとしている若者と、そろそろ社会から引退しようとする老人のちょうど中間くらいの位置にいる自分だけど、自分の人生にとって欠かせなかったのは「コンピューター」と「ネット」と「情報発信」だった。

子供の頃、個人で使えるパーソナルコンピューターを手にしたときのワクワク感は、その後の人生でコンピューターだけでなく様々なデジタル機器に広がりを見せながらも未だに続いている。そして、自分が大人になった頃から共に成長してきた「ネット」は自分の世界を身の回りだけの繋がりから、場所や年代を超えた繋がりへと広げる可能性を示してくれた。「情報発信」は単に昔から何か自分で面白いと思うことや楽しいことを見つけると、人に熱っぽく話さずにはいられなかった性分が、「コンピューター」と「ネット」という道具を得て、多くの人へ何かを伝える形として続けられている。



これらの「自分にとって楽しい」「自分がやるべきこと」は、自分の人生において、欠けることなくいつでも自分を構成する要素となっている。そして、これからの人生においてもきっとずっと続けて行く自分の興味対象に間違いない。


困難な時代を生きる我々がしなくてはならないことは、仕事を見付けて来ることじゃない。仕事を作ることだ。既にある仕事は徐々に後退していく。未来があるはずもない。新しい仕事を作りだしていく必要がある。
小さな規模でもいい。誰かの仕事を作ることが、自分の仕事になる。チャレンジは多い方がいい。万に一つの成功は、1万人がチャレンジして一人が成功するという意味だ。我々はそこに踏みこまねばならない。
絶望の朝を、希望の朝に変えるために。

困難な時代を生きる僕たちへ - 狐の王国

老人でも若者でもない我々の世代では、かつての世の中のしくみに潜り込んで生活の糧を得ている人達とそのしくみからはじかれてレールがない原野を切り開いていかなければならない人達がいる。最初に目指した研究者の道をまっとうできずに一旦リタイアした自分は言うまでもなく後者だ。

かつての世の中のしくみ、今までの仕事は改めて検証するまでもなく、どんどん縮小の一途を辿っている。もうそこに戻るなんて未来はあり得ない。新しい何か、新しい仕事を見つけ出して、そこへ進まなければならない。進む先に未来買いあるのか、成功が待っているのか分からなくても、もう戻ることのできる道は残されてはいない。



きっと我々の世代は、新しい何かを見つけるために、未踏の地へチャレンジしていくべき先兵なのだろう。後ろから押されて、おしのけられて追いやられるよりかは、自分から飛び込んだ方がきっと成功へ近づけると信じて、自分の道を進むしかないのだろう。

良くも悪くも、新しい世界へと向かっていった道筋は、後からくる若者のの何らかの道しるべにはなるだろう。