違う山頂を目指しゆっくり流れるようになった時間

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録」を読んで。


人生において何らかの壁に突き当たった時、僕たちはどうしてきただろう? 自分に嘘をついて、言い訳をして、壁なんて無いよとうそぶいてみたり、たまたま調子が悪かったのさと見て見ぬ振りをしてこなかっただろうか?

「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」という高校生の独白を読み、昔の自分を思い出す・・・。



あれは高校生の頃、そう、高校に入りたて、一年生の頃は一番頭がよく回ってた頃で、クラスでも1、2を争うくらいの成績だったように記憶している。でも、なんでだろう、理由はもう思い出せないが、二年生になった頃から勉強に全く身が入らなくなってしまった。同じクラスで成績を張り合っていた友人と別のクラスになり、勉強に張り合いが感じられなくなってしまったせいだったのかもしれない。それとも、一年生の頃に張り切りすぎた反動での中だるみだったのかもしれない。

ふと気づくと、もう三年生の夏休みの終わり、そう、大学受験に向けて最後のラストスパートに入るべき時期となっていた。

大学受験のための模試の成績が、一年生の頃は上から数えてすぐに見つけられる位置にあったのが、三年生の夏休み明けの模試では大学受験組の中でも下から数えた方がずっと早いところまで落ちていた。それまで、自分はそれなりに頭が良いと思っていたが、いつの間にか、いや、ずっと成績がじわじわと下がって行くのを知ってはいながらも何もしなかった。二年生の頃の授業といえば、ひたすら授業中に寝ていた記憶しかない。

もう、頭の善し悪しなどではなく、単に勉強をしていないせいで勉強が出来なくなっていた。



大学は中学生くらいの頃から漠然と北海道大学を受けたいと思っていた。きっとそれは若者にありがちな、家を出てどこか都会に行きたいというありがちな願望だったのだろう。でも、残り半年でラストスパートをかけたとしてもどこまで手が届くか分からない、センター試験足切りされてしまうかもしれない、そんなもやもやした気分で受験勉強を続けていた。

なんとか二次試験までこぎ着け、試験を受けるために初めて北海道大学に行ったとき、雪が降りしきる広大な大学構内を歩きながら、ああ、ここで大学生活を送ってみたい!と強く感じたことは今でも覚えている。きっとあの時に何かスイッチが入ったんだと思うけど、受験前日の下見でスイッチが入ってもさすがにもう何も出来る事はなかった。何かを身につけるというのは、普段の地道な積み重ねなくして成し得ることはないと強く実感した時でもあった。



結局、現役での大学受験は見事に失敗に終わったのだが、「自分は北大に行くんだ」というスイッチが入ったせいで一年の浪人生活の後、無事北海道大学に合格することが出来た。現役の頃と、浪人生活の頃と別に自分の頭の良さが変わった訳じゃない。違ったのは、地道に知識を身につける努力をするやる気を出せたかどうかだけだった。

自分が目指していた大学に合格できたのは、ここに必ず入るのだという目標をしっかり定め、やる気のスイッチを入れたせいだった。



どうすれば、やる気のスイッチを入れられたのだろうか? もっと早くに北海道大学を訪れていればよかった? 落ちて行く成績を見てみぬ振りをせずに、自分にカツを入れればよかった? 後から考えてみても、どうすればやる気が起こせたか?というのは全く分からなかった。だって、やる気のスイッチが入ったときの感覚は何か分かり易い理由があった訳ではなく、直感に近いものだったから。

でも、やる気のスイッチを入れて地道に勉強する努力を始める事無くしては絶対に合格することはなかった。それだけは言える。目標を見定めないと、どこにも向かって行けないんだ、ということは分かった。



自らが困難とぶつかったときにどう対処すべきか、というのは上述の参照記事以外にも「"プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らない" - naoyaの寿司ブログ」の話も似た様な体験が語られていて、結局のところ山のふもとからしっかりと踏みしめながら登って行くのが結果としてしっかり山頂へと結びつくんだな、と。


目標を定めることで変わる世界


話は変わりますが、4年前に研究者の道を辞めると決めたときにはとても自分のプライドは傷つきました。大学生活から数えると十数年費やして来た道を諦めたのだから。でも、何時の頃からだったかは覚えていませんが、自分に研究者としての資質や実際の能力に欠ける部分があると気づいてたのも確かでした。埋められないギャップを抱えたまま、次第に目標を見失い、やる気を失い、それでも義務感で無理を続けたことで体を壊してしまい、もう仕事を研究者への道を進み続けることは出来なくなりました。

思えば、本当にダメになる前に周りの人に助けを求めれば良かったのかもしれません。でも、あの時はポスドクという自分の立場が、いや、きっと自分のプライドがそれをさせませんでした。当時の職場の人には仕事を途中で投げ出さざるを得なくなってしまったことでいろいろと迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。



今でもその時の傷は完全には癒えてはいませんが、あれから数年経ち、違う山頂を目指すやる気が生まれました。じわじわとではあるけれど、その山を登るためにいろいろな準備を始め、一歩ずつ歩み出して、日々の生活が変わってきました。歳を取るにつれてどんどんと早く過ぎるように感じていた時間の流れが、急にブレーキをかけたかのようにゆっくりに感じられるようになりました。

自分が目標を見定めて、そこに向かって必要なことを選び、探し、調べながら少しずつ進み出したことで、日々の生活の中で無為に過ごしてた時間が少なくなり、そのせいで意識的に使ってる時間が増えたからでしょうか。



新しい山頂は決めたけれども、まだまだ登り始めたばかり。今度は前の様に途中下山しなくても済む様、しっかりと足場を固めながら着実に登って行こうと思っています。自分の体験からも、周りの体験からもきっとそれが一番の近道だから。