目に見えて革命的な新しいiPadがなぜ革命的かを考える

2012年3月7日(日本時間では3月8日早朝)にAppleから発表になった"新しいiPad"、そう、「iPad 3」だの、いやいや実は「iPad HD」らしいぞ、だのと噂されていた新しいiPad(ややこしいなw)の話。




名前は「iPad」で「新しい」ってのは単なる形容詞みたいな、枕詞みたいなものかと思ってたら、アップルのサイトの至る所で「新しいiPad」という名称が使われてて、あれ、実は本当に「新しいiPad」って名前で行っちゃうんだ・・・マジだったんだ・・・と今更ながらに驚いてるところ。



これ、次のiPad新機種の名前はどうするんでしょうかね?


「"新しいiPad"は我々が作ったiPad 2を超える唯一のポストPCデバイスでしたが、ライバルが追いついてこなくとも次なる進化の道は見えています。我々は”新しいiPad"、そう目に見えて革命的なiPadを超える新製品を開発しました。それでは紹介しましょう、"素晴らしいiPad"です!!」



・・・いや、そんな未来はきっと無いはず。というか、このままじゃ名前の話で終わってしまう。


新しいiPadの目玉機能は?


そんな"新しいiPad”の目玉機能と言ったらRetinaディスプレイ搭載、これに尽きるでしょう。



iPhone 3GSからiPhone 4への進化でRetinaディスプレイの素晴らしさに魅了された(個人的にはiPhone史上で一番の進化だったと思ってる)私としては、初代iPadからiPad 2に進化するときにRetinaディスプレイが搭載されてたら買おう、ぜひ買おう。そうでなかったら1世代スルーして待とう、ぜひ待とう。

そう考えてて、iPad 2にはご存知の通りRetinaディスプレイは搭載されなかったのでスルー、今回の"新しいiPad”には搭載されたので速攻予約しました。


なぜRetinaディスプレイが素晴らしいか


Retinaディスプレイのような高精細液晶ってのは、iPhone 4Retinaディスプレイで初めて体験したわけではありません。5〜6年前に所有してたシャープ製のソフトバンク携帯910SHも画面サイズが2.4インチで解像度はVGA(640x480)、計算してみると346dpiとiPhone 4の326dpiよりも高精細な液晶画面でした。



ただ、その当時も「めちゃくちゃ細かくて綺麗な液晶だな!」とは思ってたものの時代が早すぎた。



携帯で見られるサイトは1990年代後半のwebが流行り始めた頃を彷彿させる昔ながらの質素な画面のモノばかりだったし、写真や動画撮影もできるものの、撮影に時間がかかったり、画面が小さかったり、縮小して写メするくらいしか直に使える用途が無かったり、とせっかくの高精細な液晶画面を活かすことができるシチュエーションがほとんど無い状態で宝の持ち腐れ。



それから時は流れ、iPhone 4Retinaディスプレイで再び高精細ディスプレイに出会った時に感じたのは「あ、この高精細な液晶でiPhoneの世界がぐんと拡がる!」ってこと。



iPhoneを使って感動したところはいくつかありますが、なんといってもPCで見てるwebをほとんどそのままに見ることができるってのが一番感動したところ。しかし、3.5インチで480x320pixってのは、部分部分を自由に拡大収縮表示可能なブラウザであるSafariを持ってしても解像度が足りてなかったのは明らかで、iPod touchiPhone 3GiPhone 3GSとずっと液晶の解像度が上がらないかな??ってのを待望してたのが、やっと4で実現したという。



この液晶画面の進化でiPhoneでのwebブラウズはものすごい便利になった。


Retinaディスプレイが生きるもう一つの機能


他にもiPhone/iPad/iPod touchの機能で素晴らしいと感じてるフォトビューワー機能。


この機能は初代の時点ですでに充分完成していて、今でも基本機能はほとんど変わらないものがそのまま使われている。今でも、iPhone/iPad/iPod touchを超えるフォトビューワーは無いと思ってる。


Retinaディスプレイになって写真はもちろん綺麗に見えるようになった。フォトビューワー機能はもともと最高のモノだったから、綺麗に見えるようになった写真や動画も十二分に堪能できる。



そうなったら、次の進化はカメラだ。綺麗な写真を撮影できれば、もっと写真や動画を日常的に使ってもらえる。

iPhone 4から4Sへの進化、そしてiPad 2から新しいiPadへの進化でカメラ機能が向上したのは、ほぼ同じ流れになっている。iPadの場合はRetinaディスプレイの搭載がちょっと遅れてカメラの進化と同時期になってしまっているけれども。


9.7インチの画面で2048 x 1536は過剰ではないのか?


iPhoneRetinaディスプレイが搭載されたときは主にwebを見ることがものすごい快適になるのを感じた。


iPhoneRetinaディスプレイの解像度である960x640は、PCでwebを見るとしたらこれくらいが最低解像度と捉えられるギリギリの所だが、iPhoneのブラウザSafariでは見たいエリアを自由に拡大表示できるのでほぼPC並なクオリティでwebを見ることができるようになった。



しかし、今回のiPadへのRetinaディスプレイ搭載の場合で考えてみると、iPadの場合には初代iPadiPad 2の時点で画面解像度はすでに1024x768と必要十分なクオリティ。では、なぜそれ以上の高解像度となるRetinaディスプレイ、2056x1536を搭載する必要があったか?というと、少なくともwebを見るためでは無さそう。



写真や動画がよりハイクオリティで楽しめるようになるってのはそのとおりだが、真の狙いは電子書籍にあるのではないかと。



ちょっと前に「紙と画面とでなぜ同じ文章上の間違いへの気づきが違うのかを考える - 北の大地から送る物欲日記」という記事を書いたが、紙と画面との違いで挙げられた中の要素の一つに解像度ってのがある。要は紙の書籍の方がより細かい解像度で印刷されているために画面で文字を読むよりもずっと読みやすいのではないか?という話だ。



iPadRetinaディスプレイを搭載することで、解像度の点では印刷された書籍とほぼ同程度のクオリティとなる。iPad電子書籍を読む場合には縦で一ページ分を読むか、横で二ページ分を見開きで見るか。縦で読むなら文庫本や新書なら拡大したサイズで、横で読むなら同程度のサイズかちょっぴり縮小したサイズで読むことになる。

iPadで読む電子書籍Retinaディスプレイでどう変わるか、というのは新しいiPadで試してみたい注目点。


結局、何が革命的なのか


「目に見えて革命的」って言うんだから、もう目で見ることに決まってる。そう、Retinaディスプレイのこと。



どんどんと撮影素子の画素数が上昇し、等倍表示なんてしようものなら全体のごく一部しか画面に入りきらなくなってしまった最近のデジカメ画像も、新しいiPadで見るとそのクオリティを存分に活かせるのかもしれない。

動画も、家の大型液晶TVがフルHDになりBlu−rayソフトなどでフルHD動画を見てそのクオリティに感動したりもしたけれど、それを超えるクオリティの液晶が手元のiPadに入ってる時代がもうやってきてしまったってのは、なんとも驚くばかり。



新しいiPadを実際に使ってどんな体験ができるか、どんな新しい世界が拡がるか、ってのに今からワクワクしてる。