今日、またひとつ歳をとった

久しぶりにブログでも書くか、とはてダのエントリ作成画面を開いたら「今週のお題は「卒業」です」と。



うん、そうだな、そろそろ卒業する時期かもしれないな……このブログから…………とか書いて、次の日にはてなブログにこのはてなダイアリーを移行して「さっそく戻って来ました!」とかやるか!!なんて、10秒ほど考えたけど、久しぶりに戻ってきたばかりでそんな面倒なことはするわけがない今日この頃。



久しくブログを書いていないと、いろいろと書きたいことはたまってたりしたはずなのに、なかなかこう文章になって出て来ません。このブログも2005年からだから、気づけばもう9年目になり、定期的に開店休業状態になってたりするものの数千エントリを書いてきても、ちょっとブログ更新から遠ざかるといつもそんな感じに。



ブログを離れてて何をしてたか


ブログを書かなくなって何をしてたか、と振り返って見ても、別に何か山にこもって修行してた訳でもないです。山みたいな場所に住んでるけど。



去年はあまりあちこち出かけないで家にこもりがちな生活でしたが、久々に何本かのゲームにハマってプレイし続けたり、部屋が狭くていいかげん大量の本や漫画などを自炊しないと!と思いつつ、そのまま読みふけってしまったり、レンタルや録画したアニメ見てたり、と休み期間な学生みたいな生活してたらあっという間、あっという間に一年ほど経過してました。



ブログを書かなくなったのと同様にネット自体も以前ほど見ないようになってたので、なんかいろいろと取り残された感を感じてたりします。


書かないでたまるモヤモヤ


日常的な話題、テレビをつければ流れてるニュースなんかの話題は、それについてどう思うかとか家族と話すことができるので、そうやって会話することで何かその話題について思うところがあったのがスッキリしてしまうというのがあります。これ、一人暮らしの時ではブログに書いてたなー、なんてことも会話で吐き出すことで消化してしまう。



ただ、話題がネットのことなんかで、家族の中でも自分しか分からない、追いかけていないようなこと、となると、いちいちその背景から話すのも面倒だし、だいたいにおいてそういう話題は話しても聞いてもらえません、スルーです。だから、そういう話題で何か思う所があっても、それはブログを書いたりして吐き出さないと自分の中でたまっていく一方で結構モヤモヤします。



ブログを書いていない時期ってのは、たいていの場合ネットをあまり見なくなるのですが、それはそういうモヤモヤを貯めると面倒、ってのが無意識に出てるのかもしれません。


もっと多くの人の話が読みたい


昔からネット見ててハマってしまう話題ってのは、ネットを介さないと知ることができないような人々の感じてること、考えてること、思ってることが書かれているもの。自分が知らなかった、気づかなかった、思わなかった視点や、考え、気付きなどを読めるのがネットであちこちのブログを読んでるときの楽しみ。



ネットが無かった時代には、こんなに多くの人々の考えてることを知ることは出来なかったのだから。


みんな書きたいことを書けばいいし、読みたい人は読みたいものを読めばいい


たまに「たくさんの人に読まれているのだから、望まれているものを書くべきだ!」なんてことを言う人がいるけど、「自分が書きたいから書いてる」というモチベーションで書かれているもの、書かずにはいられなかったものだからこそ読んでて感じるところがあるのであって、それを読み手の側から縛ってしまうってのは無粋極まりない。「あの人にこういう話題を書いて欲しい」って希望なら分かるけど。



読む人が自分の好きな記事を読む自由があるように、書く人にだって好きな事を書く自由はある。読まない自由も書かない自由もね。



ブログを書く人がもっと増えればいいのになー、とは常々思っているものの、こうやってブログを書いてる自分ですら書くのが面倒で書かなくなる時期が周期的に来るのを考えても、やっぱこういうまとまった分量の文章を書く人ってのは、世の中のほんの一握りの人なんだよなー、とは昔から感じてて、それは2013年になる今でも変わっていない。



気がつけば、今日でもう40歳。別に何か大きなことを成した訳でもないし、多くの人を惹きつける特別なスキルを持っている訳でもない。でも、人生途中でプチリタイアしてたり、なんかいつの間にか結婚してたり、何時まで経っても安定しない仕事にばかり付いてても、なんだかんだで食べて生きていくのにはなんとかなってはいたり、そんな生き方をしてる自分の考えてること、感じてること、思っていることなんかをブログを通じて書くってのが、どこかの誰かに伝えたくて、こうやってブログを書いている。