一人では辿りつけない拡がる視点という領域


http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1522」を読んで。

自分の世界を広げる一つの方法として、ネタ切れになるまで日記なりブログなりを書いて、更に書いてみるってのは有りだと思う。というか、書くのが好きなブロガーなんかは、自然とその領域に入り込んでる人が多いんだと思う。


ネタは新鮮なうちに書いた方がいい


ネットに日記なりブログなりを公開するってのは、何かしら自分が書きたい、公開したいネタがあるからなんだろうけど、ネタは思いついたら寝かさないでさっさと書くに限る。何かネタを思いついたときの頭の中での閃きみたいなものは、ポッと湧きでて気づいたら消えてしまってる。


その時に思いついた何か、感じた何かってのは、ある意味、その時にしか書けないネタ。何時書かなければならないとか決まっていないんだから、書けるときに書いてしまう方がいい。その時に書かなかった頭の中のネタは、時間が経つと消えてしまうか別の何かになってしまってる。



そうやって書き残したネタは自分の分身となってそこに残り、後からそれを見返すことで、変わらない自分、変わった自分、成長した自分、自分のこだわりを感じることができる。


そして辿り着くネタ切れ


単に日々の記録を残すだけならネタ切れになることはないんだろうけど、自分の考えや気付きなんかを書いていれば、そのうち自分の持ってるネタのストックが切れてしまう時期は誰にでもやってくる。

どれくらいでネタ切れに行き着くかは人それぞれだけども、テーマが絞られているほど、日常の変化が乏しいほど、ストックは早くなくなってしまう。自分の頭の中の考えを出し尽くした状態。



ネタ切れになってなお、何かを書きたいという欲求がある人は、日々の生活から、自分が読むネットの記事から新しいネタを探すことになる。自然とアンテナ感度を上げた状態となる。


他人の視点から新しい視点を開拓する


元記事では「新しい偏見を導入する」とあるけど、偏見ってのは言い換えてみれば、ある特定の視点のこと。



自分の考えを書くってのは、自分の視点はこうですよ、と表現すること。大勢の人がさまざまな視点から自分の考えを書いているネットでは、それらの視点に触れ、自分の視点との違いを考えることで、より多元的に物事を考えることができる。


自分の視点だけではない、他人の視点を見ることは、一旦はネタ切れになったと感じた自分の頭の中の考えを刺激し、膨らませたり、別の切り口から考えてみたりと、さまざまな化学反応を起こすことができる。



同じようなテーマについて書くときでも、他人が書いてるときと自分が書いてるときではちょっとした視点のズレから、こだわる所、話の展開、結論なんかが微妙に違っていく。大勢の人がひとつの話題に集中して何かを書いているときは、さながら花火のように話題があちこちの視点へと拡散分散していくのが見られる。



自分が得た視点はどんどんネットへと発信しておけば、それを読んだ誰かがまた別の視点に気づいてどんどんとそれを広げていってくれるかもしれない。そうやって自分の考えが緩やかに、時に激しく広がっていくのを眺めるのがネットで何かを書く面白さだと思う。自分の頭の中だけの思考では到達できない領域を見られるってこと。