写真に残すということ


デジカメを持つようになってから、写真を撮るのが好きなのもあって、いろいろな場所で写真を撮るようになった。


ただ、いつでも撮影できるわけじゃない。食事のときひとつ取ってみても、写真を撮ってもかまわない場所、そうでない場所、シチュエーション、音がなる携帯のカメラ、フラッシュなどいろいろと考慮しなければならないことがある。それでも、可能ならば写真を撮りたいと思う。

もちろん写真を撮るために食事をとるのではない。さっと写真を撮ったら、後はその場の雰囲気なり、会話なり、食事なりを堪能すればいいのだ。後で「あのときの食事を写真に撮っておけばよかったなぁ」と後悔するくらいなら撮っておいた方がよい。


二度と訪れることの無い時間だからこそ、余計なことは全部忘れて、その時間を味わいつくすのが正しい姿だと思う。思い出を可視化するために意識や手間を費やしてしまって、肝心の思い出の方が不十分になるなら、本末転倒もいいところだ。

この辺のバランスは難しい。

でも、写真を撮らないでその時間を味わいつくすのが必ずしも正しいとは思わない。

写真を撮らないという贅沢さもあるけれども、写真を通じて多くの人と共通体験を行うというのもまた素晴らしい体験だと思うから。

何十年後かに、ふと自分の人生を振り返ったときに写真の一枚も残ってないなんて、それはそれでものすごい寂しいことなんじゃないだろうか。



人が撮った多くの写真で感動した経験から、自分も誰かにそういう体験を感じさせるような写真を撮れたらなと思いつつ、日々写真を撮る。

おどおどしながら撮影するよりは、どうどうと撮影できるようになりたい。


もちろん他人の迷惑にはならないのは大前提として。