自分の中の自分と外からみた自分


自分が思う自分という存在と、外から誰か他人が見た自分のキャラは往々にして重なることは少ないと思っています。いや、むしろ重ならないのが当たり前。現実で面と向かってコミュニケーション取れる間柄や、いやいや、毎日いっしょにいるような家族だって、自分が思ってる自分と、家族が思っている自分というキャラは違うと思う。


現実に顔を突き合わせててもそうなんだから、これがネットを介した場合に、このブロガーはどんな人なのか?ってのを考えるときは、自分の思う自分が伝わる、いや一致することなんてまず望めないでしょう。あくまで読者がみたあなたのブログを見て感じた感想から作ったキャラクターとしてしか見られないわけです。

端的に言うと、ブログ上で「等身大の自分」が読み取られることを望むのはあまりにナイーブに過ぎるはかない希望じゃないのかな、ということ。

ってな訳で、「等身大の自分」でありたいとは思いますが、自分の中の自分と他人が感じる自分というキャラクターが一致するとは思わないです。ナイーブじゃなくてすんません(笑) そういうはかない希望にすがって生きていけるほど平坦な道のりは歩いてこなかったようです。


どうせ自分が思う自分の姿には見てもらえないんだから、必要以上に自分を良く見せようとか卑下しようとかしたりするのは面倒くさいなぁ、と思って、ネット上では素のままでいるのが楽だなーと感じるようになりました。

そんな自分を見てどう思うかは、見てる人次第。どう思うかを決めるのかは見てる人で、自分じゃないんだってこと。人の視線を気にしすぎると疲れちゃうので、お好きなように等身大の自分を見てください、それで各自判断してもらってかまいません、ってのが前回のエントリの言いたかったこと。