弁当を取り巻く格差社会


弁当で家庭の「格差」見える?」を読んで。

ここ数日、この話題に関する記事をいくつか見てきたので取り上げてみる。

弁当箱に食パン1枚――。弁当で家庭の状況がみえてしまうので、中学校はみな「給食に変えるべきだ」という投書を載せた4月16日付の記事に、賛成、反対の立場から多くの意見が寄せられた。議会が「弁当の日」を作るよう決議し、論争になった町もある。弁当を作らないと愛情が足りないのか。子どもが「格差」を実感させられることを、どう考えるか。議論は広がる。

さまざまな反応が見られる今回の話題。

賛成、反対の意見がたくさんあるが、どれも真っ当なことを言っているように見える。いや、それぞれ発言してる人の立場からすれば正しい意見なのだろう。

世の中、各家庭は同じではなく違っていて、「格差」が存在するということをひたすら隠すのか、それとも実感させるのがいいのか。

運動会でみんなに一等賞を上げるようになったのは何時からなのだろう? どうしてみんな横ならびじゃないといけないんだろう? そうやってもらった一等賞、もらった子供は嬉しいのだろうか?

っと、脱線。



上の話題に出ている意見も、それぞれの世代で大きく意見が異なっているのが伺える。それだけ社会情勢が大きく変化してきたってことなんだろう。

私的には、賛成派、反対派、両方の言い分は分かるし、話は平行線だろうから、給食と弁当と好きな方を自由に選べる日を作ればいいのに、と折衷案を提案してみる。みんな一等賞横並び路線で反対されちゃったりするんだろうか?