自分のためにブログを書く


自分のためだけど、ただそれだけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・ - 楽天ブログ(Blog)(from 明日は明日の風が吹く)」を読んで。


「自分のためにブログを書く」ってどういうことなんだろう?って考えてみた。



ブログを書いていれば、後からそのときの自分が何を考え、何を思い、何をしたのかを知ることができる。でも、ブログは日記とは違う。自分しか読めない日記と誰でも読むことができるブログとで、まったく同じ文章を書く人はいないだろう。自分しか読めないのと、誰でも読むことができることの違い、それは他人に自分の考えが、思いが、行動が伝わることだと思う。

自分のことが、どこかの誰かに伝わる。なんとも思われないかもしれないし、おっ?と思われるかもしれない。そんなことはない、と反論があるかもしれないし、私もそう思ってたんですと同意が得られるかもしれない。誹謗中傷を受け、ブログを荒されるかもしれないし、あなたの書くことを読みたいと思ってくれる、あなたのことをもっと知りたいと思ってくれる読者ができるかもしれない。


ブログを書くってことは、ネット上にもう一人の自分を作り出す行為なんだと思う。


ネットって場所は、現実の世界にあるような距離や立場というものは現実ほど大きな影響を持たず、だがしかしそれを為しているのはやはり人であるが故に守るべきルールやマナーは存在している。ブログというシステムを通じて、ネット上にもう一人の自分を作り出すって行為は、ネットというもう一つの世界に生きることなのではないだろうか?

もう一つの世界に生きるってことは、きっとあなたの世界を広げてくれるだろう。いままでは交流を持てなかった人々にあなたという存在を伝えることができるのだから。


その広がった世界から、あなたが何を感じるか、何をもらえるかは、あなたがあなたのどのような部分を伝えたかによる。多くの人々と仲良くなりたくて、交流しようと手を差し伸べれば、多くの人がそれに答えてくれるだろうし、自分の好きな趣味の情報を公開すれば、その趣味が好きな人々がたくさん寄ってくるだろう。人のことを馬鹿にしたり卑下したりしていれば、いつかはあなたも同じように見られるだろうし、嘘偽りや捏造ばかり書いていれば誰もあなたを信じてくれなくなるだろう。

多くのブログを見てきて思うのは、あるブログの周りに集まっているブログってのはどこかしらそのブログと似ている部分があるってこと。ネット上に生きるってことは、どこか自分と似たような感覚を持つ人同士が引き寄せ合って集まるってことでもある。



普通の人生を生きていて、自分と似たような感覚を持つ人と巡りあえることはどれくらいあるのだろう? 子供の頃、学生時代、大人になって社会人になってから、普通に生きていたらその間に触れ合う人々はせいぜい千人にも満たないだろう。でも、ネット上ではどこかで誰かが見てくれる。しかも、それは偶然たどり着いたのではなく、何かしらの繋がりがあって引き寄せられた人々なのだ。


人は一人じゃ生きられない、だから誰かと繋がっていたいと思う。ネット上に生きることは、ブログを書くことは、その繋がりを広く、強くしてくれる。自分を見守ってくれる誰かを感じるのと同じように、どこかの誰かがあなたに見守られていることを感じている。


誰のために更新し続けるのか、それは確かに自分のためだけど、ただそれだけじゃないのだと思う。

見守っていてくれる誰かがいるから、ここまでこれたし、今日もこうやって書いていられるという側面もたしかにあるだと思う。

そういう自分と繋がりがある人々の存在を感じながらブログを書くってことは、結局回りまわって自分のためにブログを書くってことと同義なんでしょうね。