ありえないことが常識になりそうだから主張する


Good_Hopeの日記 - 無断リンク禁止がネットの常識になるって? そんなことはありえないんですよ」を読んで。

そんな、みんなが困るようなことが常識になるわけがないじゃないですか。常識(空気)を作るのは多数派なんですから。

そうとも言えないと思う。


最近、携帯電話でもネットを利用可能になってきて、いままでPCでの利用が主だったウェブも携帯から利用する人が増えてきています。携帯からウェブを見るようになった人は、携帯の小さな画面で見る少ない情報量、電話番号・メアド・電話帳で紐付けられて話してる相手に自分のことが認識されているという意識、など、PCから見ることのできるウェブとは違った形でネットを捉えています。

携帯からネットにアクセスして参加する人がどんどん増えて多数になってくると、携帯での常識をネット全体に持ち込む人が増えて、それが常識となってしまうかもしれません。

無断リンク禁止」と主張する人がどっと増えるかもしれませんし、掲示板で数行前の発言すら読まずに同じ発言を繰り返す人が大増殖したり、件名も署名もない意味不明なメールががんがん飛んでくることになるかもしれない。


でも、携帯からネットを見てる人はそれが普通だったりするんです。それで被害を被ってる人がたくさんいるってのは、言われなきゃ分からない。



たまたま携帯を通じてのネット参加の話の例を出しましたが、他にも声を上げないと分かってもらえない、一部の人の意見がルールになってしまったりするって例はたくさんあると思います。


ただ、自分の主張と相手の主張が正面からぶつかった場合、相手に譲らせようとするよりは自分から譲った方が簡単で楽だよって言いたいんです。それは別に自分の考えを捨てろってことじゃないんですよ。道路で道を譲るのと同じなんです。もちろん「息するな」とか言われれば別ですよ。それとこれとは話が違います(他の話とごっちゃにする人が多いので驚きました)。譲れる範囲で譲ろうねってことです。

これは同意できるんだけど、でも注意したくなる、関与したくなる気持ちも分かる。


大きな声を上げていれば周りが譲ってくれるから自分の考えは正しいんだ!的な行動をしてる人とか見ると、ものすごいつっこみたくなりますけど、関わってもろくな事にならない(そういう人はそもそも自分の考えを変えたりはしない)。でも、それを見ていられずに注意する人もいて、それはそれぞれ譲れる範囲が違うってことなんだと思う。

また、自分の主張が正しいと思ってる人だと、そもそも譲る必要なんてないよね、って思う人もいるでしょう。たとえぶつかってしまうとしても、自分の道は譲らない。



主張や行動の衝突を見るときは、一歩引いて広い視野から眺めてみるのが大事だなぁとよく感じます。自分が当事者の場合も、そういう視点で考えてみるとかね。