やがてリアルと融合するであろうネット


304 Not Modified: ネットとリアルの関係」を読んで。

ネットはリアルの一部です。
リアルはネットの一部です。

まなめさんのネットとリアルの関係話を読んで、ネットとリアルについての自分の考え方をぼーっと考えてみた。


ネットとリアルの関係を書くときには、「ネットとリアルは表裏の関係」みたいな書き方をよくする。なんで表裏なのかというと、両者は切っても切れない関係だから。



自分という存在を中心として捉えたとき、リアルの世界で出している面とネットの世界で出している面がある。でも、どっちも同じ自分という存在には間違いない。多くの人はリアルの世界は当たり前のように過ごしているが、ネットの世界に関してはそこまで踏み込んでいないって人も多いだろう。

でも、ネットというアクセス手段で繋がってるだけで、自分を出しているって意味ではリアルもネットも変わらない。



ネットを通じて誰かとコミュニケーションしてるってのは、ネットをアクセス手段として考えればリアルの一部であると考えられる。電話で話しているとき、電話の向こうに相手がいることを認識してると思うけれど、ネットだってそれと同じこと。

ただ、なぜかネットになると、この認識があいまいになったり、無くなってしまう人も多いみたい。リアルではそう感じることのない大量の反応、情報を見ると、相手を認識するって意識が薄れてしまうのだろうか?



「リアルはネットの一部です」ってのは、リアル中心に生きてる人には分かりにくい概念なんだと思う。逆に、ずっとネットに入り浸りでリアルに接することがほとんどない状態の人にとっては、「リアルはネットの一部です」って方がしっくりくる感覚なのかもしれない。



日常生活というリアルの中で、ネットという手段を用いて誰かの生活を垣間見る(例えばTwitterやブログなど)、これはネットはリアルの一部。

ネットという仮想現実の中で、人々のリアルでの様子を垣間見る(例えばUstreamなど)、これはリアルはネットの一部。ここでいうリアルは「現実と仮想現実」という区別においての現実。

リアルもネットも繋がっていて、どちらからも覗き穴のように向こう側をみることができる。



ただ、リアルとネットでは、その世界における存在の有り方が違っていて、だから同じルールを適用してはうまくいかない。リアルでは過去というのは書籍や映像という資料として認識するしかなく、基本的には流れ去ってしまうものだったが、ネットでは今も過去も同じようにテキスト、音声、画像、映像として残る。これはものすごい違い。

記録として残り、互いにそれを参照できるから、それを有効活用しようとすれば今までのリアルでは有り得なかった速度での進化を見せるし、相手の足を引っ張る手段や攻撃手段として使おうとすれば、際限の無い泥沼へと相手を引きずりこむこともできる。



よくも悪くもネットという世界はもう存在して、日々その世界は拡大しつつある。遠くない未来にリアルとネットが融合するであろうことを考えると、ネットという世界が、手段が存在したときにどういうルールにするのが一番よいのかを考え続ける必要はあるだろう。



っと、話がそれたけど、リアルもネットもどっちかだけで完結してるものではなくて両方繋がっている。手段というネットを含んだリアル、全てのリアルを記録できる可能性を見せつつあるネット。今はまだネット側が進化中だから、「リアルはネットの一部」という感覚はつかいみくいが、数年後、数十年後になったらそれが分かるようになってるかもしれない。

どっちがどっちの一部なんてのは、両方が融合したときにはごく当たり前な感覚になってるのだろう。