ネットでの感性の衝突と暴走してしまう人々


きっこのブログ: インターネット上の良識」を読んで。


最近ネット上で話題になっている炎上騒ぎについての記事。


‥‥そんなワケで、あたしは、今回の吉野家の対応って、今のどうしようもないインターネット社会の一番悪い面が現れたものだと思った。モノゴトの良し悪しを自分の目で正しく判断することを放棄して、「ネットで騒いでるから悪いこと」「サイトが炎上したから慌てて対応」って、バッカじゃないかって思う。「炎上」なんてもんは、一部のタチの悪い「炎上させることを生き甲斐にしてるネット放火魔ども」の単なる恒例イベントなのに、そんなもんを民意とカン違いして慌てて対応するなんて、これでも企業と言えるのだろうか? そして、こうしたバカ企業がくだらない前例を作っちゃうから、言論の自由表現の自由がどんどん奪われてくんだと思う。

「炎上」自体が「炎上させることを生き甲斐にしてるネット放火魔ども」の単なる恒例イベントだってのは分かるんだけど、今回の吉野家の対応を「民意とカン違いして慌てて対応」と切って捨てるのはどうなんだろう?

あたしが吉野家の社長だったら、さっそく、この「テラ豚丼」をメニューに加えて、このバイト君2人を表彰して、特別ボーナスをあげちゃうとこなのに(笑)

今回の「テラ豚丼」騒動が、バイトではなく自分で商品買ってきて作ってみた、とかだったらシャレだってのは分かる。でも、この騒動を知った人が、バイト中にああいう行為をしているのを認めるような企業が経営する飲食店で食事をしたいと思うかなんて、ちょっと考えれば分かると思うんだけど。作った「テラ豚丼」を鍋に戻した、などという部分がネット上で一人歩きしてたりして、実際にその部分が事実だったのかは分からないけれども、それが事実じゃなかったとしてもあれは黙認していい内容ではないと思う。


あたしに言わせれば、十分にシャレのハンチューの「テラ豚丼」なんかよりも、「ねこ鍋」のほうが、よっぽど大問題だと思ってる。本来、人間の食べ物を入れるための土鍋に猫を入れるって行為自体が、まるで、猫を食べ物として扱ってるようにしか見えないからだ。もちろん、個人で楽しんでるぶんには構わないけど、それを写真に撮ったり動画に撮ったりして公開するなんて、「良い人も悪い人も誰でもが閲覧できるインターネット上のサイト」ってことを考えたら、こうした短絡的な行為がどんな結果を生むか、簡単に想像できるだろう。

私にとってみれば、こっちの方が理解しうる面白いしゃれに思う。

ねこが土鍋に入ったって可愛さを「猫を食べ物として扱ってるようにしか見えない」と感じる感性が分からない。あの動画を見て「猫を食べようとしてる!」なんて感じる人がどれだけいるのか。


そして、あたしのこの危惧は、現実のものとなってしまった。「ねこ鍋」の流行にともなって、頭のおかしい異常者たちが、実際に子猫を殺して料理するという残酷な動画を「実録のねこ鍋」、「リアルなねこ鍋」として、動画サイトで公開し始めたのだ。

これ、「ねこ鍋」を公開した人に責任があるの?

確かに頭のおかしい異常者たちが「ねこ鍋」の流行を見て、面白おかしく残酷な動画を撮り始めたのかもしれない。「ねこ鍋」をネット上で公開したことがきっかけになってるかもしれないけど、残酷なことをしてしまう人はどんなことだってきっかけにしてしまうだろう。


ネット上で公開されたものを悪意をもって見れば、どんな酷い行動にも結び付けられる。それって、「炎上させることを生き甲斐にしてるネット放火魔ども」の思想と変わらないんじゃないだろうか?


‥‥そんなワケで、どうでもいいような他愛もないイタズラに本気で怒ってみたり、本来は真っ先に注意をうながさなきゃいけないようなことを野放しにしたりって、このインターネット上のアンバランスな状況は、もはや、無法地帯のようなもんだ。


テラ豚丼」騒動や「ねこ鍋」に関する説明を見てる限り、私ときっこさんの感性は全然違う相容れないもので、そんな全然違う感性を持った人たちが大勢参加してるのが今のインターネット。このふたつの事件に対する感じ方の違いは、お互いが持ってる感性の違いなんだろう。


人によって感性の違いがあること自体は当然で、それをネット上で表明しあうのは問題ないと思うが、よくある「炎上騒動」のように非道徳的な行動をネット上から探してきては、それを徹底的に潰すような行動は行き過ぎた正義感の行使に見える。悪いことをした奴は徹底的に潰されるべきだとばかりに、個人情報を調べ上げて暴露しまくる行為は、悪を憎むうちに、自分も同じような行為に加担してるということに気づいていないか、正義感に酔いしれて自分の行動がどんな意味を持っているか正常に判断できなくなってる。



みんなが自分の良識に従って意見を述べ、行動した結果、良識同士の衝突だけでおさまらず、暴走してしまう人が現れてしまう。ネットの持つ情報共有のパワーは、こうした暴走においても機能してしまうため、あちこちで炎上がつきない事態になる。



今まで、本音と建前とを使い分けることで、世の中の腐った部分がうまく隠されていたのが、インターネットという誰でも簡単に情報発信できる手段ができたおかげで、いままで虐げられてきた人たちの大逆襲が始まったってのが現状なんだろう。偽装問題の発覚だってそうだし、コンテンツを巡る著作権の扱いもそう、炎上を巻き起こしている人たちが感じている自己正義感も、いままで見えなかったさまざまな事実に対する不満の爆発なんだろう。

自分の信じることを発信し、自分の信念に基づいて行動していくしかないんだけど、こういう時代だからこそ、広い視野を持つこと、何が本当に正しいことなのかを自分の頭で考えること、自分の行動が本当に正しいのかを考えること、が重要なのだと思う。