ウェブでの自由と責任


「ウエブは公共空間」は虎の威でしかない - 煩悩是道場
「何を書いても自由」のわけがない」を読んで。


ウェブ上に何かを書くことと、その影響について。


ウェブ上にはさまざまな場所がある。アクセス制限が掛けられていて特定の人しか見られない場所や、ブログのように不特定多数の人が見ることができる場所、そんな多くの場所があって、多くの人がさまざまな自分の思いや考えを書き綴っている。

ウェブ上というのは、私的な領域から公的な領域まで多岐に渡っていて、しかもどちらかとはっきり判断できるほど分かりやすい状態ではなかったりする。

本来的に言えばオタの集まるイベントで働いてた人が「きんもー☆」と書こうが、牛丼家で働いてる人がテラ豚丼の製作過程をニコ動にうpしようが未成年が飲酒したとか無免許で運転したと書こうが、特定のカテゴリの人に対して殺意を覚えると書こうが自由な場所だ。


基本的に、ウェブ上ではどんな内容のことでも書くことが「可能」である。ただし、それを書き込んだ内容は完全な匿名でもない限り書いた人に、書いた人の属性に、跳ね返ってくる。ブログで書き込んだ内容がどう思われたか=そのブロガーがどう思われるか、であるし、ある場所で働いていると明らかに分かる格好をした人が行った行為=ある場所への印象、として跳ね返ってくるのだ。

そのことを忘れて羽目を外した行動に出れば、思いもしなかった反応に出くわすことになる。


自分のブログなんてそんなに見てる人いないだろう、とか、名前を出してる訳でもないしなどと、匿名であることを過信していると、その書き込み内容を不快に感じる人たちに見つかって祭り上げられてしまうことも少なくない。

存在が特定しやすいブログやmixiなどはいうに及ばず、匿名掲示板として一番有名な2chだって、書き込み内容によっては個人を特定され逮捕されることだってありうる。2ch上で殺人予告をして逮捕された例がいくつもあるのは、調べようと思えば書き込んだのかは誰かを特定できるから。誰かのブログのコメント欄への書き込みだって、サービス提供者側が協力してログを調べることによって書き込みを特定できたりもする。

実は完全に匿名な場所なんてほとんどないのにも関わらず、それを多くの人が過信してる状態だったりする。


ただ、書いた事が時には自分の意思とは無関係にウエブ以外の実生活に紐付けられ、生活を激変させる可能性がある、というだけの事なのだ。その事に対する自覚さえあれば実質上「何を表現しても構わない」と私は思っている。表現するときに大切なのは表現を行った結果、他者からどのようにその表現を、そしてその表現を通して表現者がどのように見られ、解釈-あるいは評価と言っても良いだろう-されるかに掛かってくる。

オタイベントで働いていた人が「きんもー☆」と書くのも、牛丼家で働いてる人がテラ豚丼の製作過程をニコ動にうpするのも「自由」の訳がない。
自分の所属を明らかにしないで「ヲタってキモイよね」と書く、あるいは自分の家の台所でテラ豚丼を作って、その過程を動画にして投稿するのは自由だと思う。けれど、自分が働いている(オタ相手に商売をしている)職場を明かして・あるいは容易に推測できるようにして行うのは、職場の社会的信用を貶める行為だ。名誉毀損になりかねない。

ululunさんとekkenさんで、ウェブ上で何かを書き込むことが「自由」であるかそうでないかについては意見が割れているが、書き込みがそれを書いた人に、属性に跳ね返ってくるという主張は一致している。

「私」はウエブを公共空間だ、とは思っていない。というよりは「ウエブは公共空間なので」と言う奴が嫌いだ。
公共空間かどうか、という事は関係ない。「見た人間」が不快かどうかという事だけだ。それ以上でも以下でもない。
表現の間にあるのは「表現者」と「表現を見た者」という1:1の関係でしかない。「見てしまった人間」は個人でしかないし、嫌だな、と感じたとしてもそれは見た人間の価値観でしかない。その価値観を公的なものに担保させようとするのは「自分がたった一人である」事を認めたくない愚かな行為である。
ウエブは公共空間ではない。ただ「公共空間」という虎の威を借りて表現者を攻撃する馬鹿者がいるだけの事だ。

自分自身の考えではなく、「みんなはこう思っている」「全体の意見はこうだ」などという本当に存在するのかどうか怪しい集団(これを「公共空間」と指しているのであろう)の代表で意見を言っているのだ的な書き込みは見た時点でスルー確定。自分の存在を担保しての書き込みができないのであっても、せめて書き込みの内容は自分の頭で考えた主張であって欲しい。


それすら「自由だ」とするのなら「何を書いても自由」と言うのは間違ってはいないが、他者に影響を与えかねない「自由」は、ある制限の中で用いられるべきものだと思う。法や利用しているブログサービスが定める利用規約に反しての「自由」はありえない。


ブログやmixiなどの書き込みを発端に起こっている炎上騒動の多くは、「表現の自由」の意味を「匿名という安全な場所から気に入らない他人を攻撃する」という卑怯な行為を正当化するために使っていたり、正義感に酔いしれて自分がやってる行動の善悪も分からない状態になってる人がいたり、単なるお祭り騒ぎで騒ぎたいだけで何も考えていない人がいたり、そんな多くの人たちがウェブという場の力をネガティブな方向に爆発させている行為。

上の原因となるような書き込みが匿名を過信しているか、ウェブという場が人に見られるもので、それが自分や属する場所に返ってくるものだという意識の欠如によってなされていること、そして炎上させる側も匿名を過信し、こちらは回りにそれを見せ付けるために行き過ぎた行動を好き勝手に振舞う、そのどちらもたいして変わらない気がする。



発端となっている事件の良し悪しと、炎上行為そのものの良し悪しは分けて考えなければいけない。悪いことをしている人にだったら何をしてもいいなんてなってしまったら、世の中なんのために法やルールがあるのか分からない。

もっともその法やルールが、あまりにも現実とかけ離れたものになってしまっているのに、制度的なしがらみのせいか、抵抗勢力による反発のためか、なかなか現実に沿ったものに変わろうとしない現状をいやと言うほど見せられているので、そういう状況に反発する形でこういう炎上騒ぎが起こってるのかな、とも思うが、目には目を、歯には歯を的にやりあってるだけじゃ、いつまで経っても問題は解決しないだろう。