入れ物がなくても聴けるようになった音楽


TOFUBEATS WEBLOG 平成生まれのレコード考察」を読んで。


レコードで音楽を聴くということについて綴ったエントリ。


音楽ってなんだろう?


音を楽しむと書いて「音楽」。楽器を演奏する音だったり、誰かが歌う音声だったり、そういう人が作り出した音をひっくるめて「音楽」と呼んでいるのだけど、「音楽」自体には形はない。音そのものが音楽の本質。


音楽を聴くための方法と入れ物


じゃあ、我々はどうやって音楽を聴いてるのかというと、ラジオやテレビ、ゲーム、映画などで使われていたり、街角や店内などでBGMとして流れているものだったりで耳に入ってきて聴く受動型の聴き方と、ライブを見にいったり、CDやDVD(昔ならカセットテープやレコード)を購入したり、何かで使われて流れている音楽を録音したりしたものを聴く能動型の聴き方の2種類がある。


受動的に音楽を聴くときは、特にお金は掛からないが、能動的に音楽を聴こうとすると、お金がかかることが多い。


入れ物の役割


実際に演奏したり歌ったりする人の居ない場所で形のない音楽を聴くためには、音楽を何らかの入れ物に入れて、それを再生する装置で聴くという形をとる必要があった。

カセットテープ、レコード、MD、CDと入れ物の形が変わる度に、音質はよく、使い勝手も良いものへと変化してきた。これらは「音楽」を売るための入れ物として用いられたり、ユーザーが自分で音楽を録音するのに使われたりしてきた。


入れ物に入った音楽は、中に入った音楽だけではなく、そのジャケットの画像という形も付加されるようになった。特にレコードではサイズが大きなせいか凝ったデザインの物も多く、単なる入れ物であるにも関わらずにコレクター性が高まり、入れ物と音楽が融合した形で楽しまれるようになった。


入れ物の消失


しかし、時代が変わってPCが登場し、音楽が形のないデータとして扱われるようになると、大きな変化が生じてきた。音楽をデータとして扱えるPCの登場と、それを自由にやりとりすることが可能なネットの登場によって、音楽を聴くという行為をそこで済ませる人が増えてきた。

音楽は、それを作った作者がいるから、そして、それを聞けるようなパッケージにしてくれた音楽会社がいたから楽しめた。だからカセットテープやレコード、CDにお金を払って購入して音楽を楽しんだ。でも、より簡単に音楽をやりとりする手段が登場したときに、音楽会社はそれを取り込もうとはせずに、それを排除する方向に向かった。

もちろん、商品である音楽を勝手に無料でやりとりされては商売上がったりだから、それはそれで当然な行動だったのかもしれなかったが、それでもネットで音楽をデータとしてやりとりする方向はもっと早くから模索しておくべきだったように思う。



頑なに今までの「音楽を入れ物に入れて売る」というスタイルにこだわった結果、CCCDなどというユーザーに大反発を食らう悪手に出たメーカーも数多く存在し、結果それは無くなったものの多くのユーザーに大きな不信感を抱かせる原因になってしまった。


海外での音楽ネット配信の普及に押される形でようやく実現したネット配信も、CCCDのときほどではないが、ユーザーの利便性度外視でがちがちなDRMを掛けた形で導入した結果、あまり流行せずに低い成長率のまま今に至っている。

ユーザーがどれだけ利便性を重要視しているのかというのは、携帯の着うたが大流行しているのを見れば一目瞭然である。手軽にいつでもどこでもネット経由で購入でき、課金も簡単というしくみの着うたは、その内容(音質、値段、曲のばら売りなど)を考えればPCによるネット配信よりも大きく劣っているにも関わらず、大流行している。



今の若い人たちの多くは携帯音楽プレーヤーを持ち歩いて音楽を聴くが、そこに入れるための音楽はネット配信でのDRMの縛りのせいで、メーカーによって入れられる音楽がばらばらなんて事態になっている。音楽業者と音楽プレーヤー業者が完全に独立していればこんなことにはならなかったのだが、一部の業者が両方を抑えているために、肝心のユーザーは自分の聴きたい音楽を自分の携帯音楽プレーヤーで聴けないなんて状況という不便さを押し付けられている。



ある音楽があって、それを聴きたいってユーザーがいるとき、それを正規に購入して利用するルートが存在しなければ、ユーザーはそれを違法に手に入れるか、それを聴かないかのどちらかなのだ。もちろん違法な手段で入手するのはいけないことだが、特にお金のない若い人ほどそういう手段に走ってしまう。

CDが売れなくなってきたのは、音楽を聴くスタイルがレコードやCDで聴くというスタイルからPCや携帯音楽プレーヤーで聴くというスタイルに変化しているのも大きな要因のひとつであるのは間違いないのだから、いつまでも過去の入れ物にこだわり続けないで、新しい形での供給を考えるべき。



時代に即した音楽の供給スタイルを提供せずに、ユーザーが音楽をコピーするからだ!と原因を全てユーザーに押し付けていれば、どんどんユーザーの音楽離れが進むだけだろう。




続きは「音楽を聴く形の移り変わり - 北の大地から送る物欲日記」をどうぞ。