大勢が必要な情報を出し合う情報社会


「ブログ限界論」とマイクロメディア - Tech Mom from Silicon Valley」を読んで。

私は、ブログを「不特定少数」に向けて書いていることが多い。記事によるけれど、例えば無線通信業界の人とか、子供の学習障害に関心のある人とか、どこにいるかわからず、おそらく全体の中では埋もれてしまうぐらい数は少ないけれど、私の言いたいことを聞きたい人が世界のどこかにいるだろう、と思って書いている。また、同じようなことを考える人が書いたものを、ありがたく読んでいる。

確かにブログのエントリひとつひとつを見ると、それぞれのテーマに沿ってある対象の人に向けて書いてることが多い。

ブログはある誰かの情報発信の場として捉えられるけど、読まれるときはエントリ単位で読まれることが多くて、それぞれのエントリが書いてあるテーマに沿った読者に向けられて書いてある。


一昔前のホームページのスタイル(個別記事ごとのpermalinkが無かった頃)だと、いろんなテーマについて雑多に書かれているサイトは読みにくくてたまらなかったかもしれないが、今のブログの形ならそれぞれのエントリごとにそれぞれ読みたい人たちが集まってきてくれる。記事個別にpermalinkが存在していて単独で分けて読めるというのは非常に大きな意味を持ってたのが、こうして実際にブログを書いていると分かる。

「限界論」では、ブログでどうやって儲けるかという話や、アルファブロガーの位置づけの変遷とかが話に出るが、「不特定多数」を相手にした「マスメディア」的な枠組みでとらえているように聞こえる。でも、ブログはそういう使い方だけじゃない。私にとっては、これまで存在しなかった、便利な「マイクロメディア」である。そういう使い方もある。人それぞれの使い方がある。そういうツールなのだから、それでいいじゃないか、と思う。

今までの情報は「マスメディア」的にテレビや新聞から流されるものを受け取るという形だったのが、ネットでブログのような情報発信のスタイルが出てくると「マイクロメディア」的に必要な情報をそれぞれ別な場所から集めてきて受け取るような形がどんどん増えていくんでしょう。

流通や情報発信のコストがほとんど掛からないから、多くの人が情報をただ受け取るだけではなくて発信する側としても参加できる。身の回りのちょっとしたことなんかでも、こういう時代には十分情報として流通するようになるだろう。この人が書く内容は情報として有用だ、信頼できる、という情報発信者としての評価が、新しいマイクロメディア的な情報社会における相互情報発信が広がったときの情報発信源としての知名度となっていく時代に入りつつある。