Tumblrから考えるコンテンツ流通とクオリティコントロール
「Tumblrの何なのさ!Tumblr=ブログ+Twitter+はてなブックマーク?:Blog紹介しちゃいます。 - livedoor Blog(ブログ)」を読んで。
Tumblrが優れてるのは、
- さまざまな種類(画像、テキスト、動画)を簡単な手段(ブックマークレット)でクリッピングできること
- クリッピングされた情報がかなり品質の高い状態でそのまま見られること
- Followingしてる人の投稿をすべてまとめてみられるダッシュボードの存在
の3点だと感じています。
1.のクリッピングのしやすさで、「あ、これいいな」と感じたコンテンツを流れを妨げることなくクリップしておけるし、クリップした情報は自分のTumblrページやダッシュボードで元サイトに飛ぶこと無く確認できるし、大勢の気に入ったものをダッシュボードという場で見ることができる。とにかく、webで見つけたお気に入りのコンテンツをまとめておくしくみとしてはとても優れています。
ただし、それは見る側、集める側の話で、元コンテンツを作って公開している人の中には自分のコンテンツを勝手に持って行かれた感を感じる人がいるということが、過去に何度も話題に上っています。
リンク先の記事では、Tumblrとはてなブックマークの比較が行われていて、その違いがいくつか挙げられています。両方とも使っている私が感じてるのは、はてなブックマークはあくまであるURI(permalink)の記録(ブックマーク)が基本で、ブックマークしたユーザー、コメント、取り上げたダイアリーなどの付随情報を分かりやすく提示してくれるしくみ、Tumblrはコンテンツそのもの、もしくはその一部を切り取ってそのまま直に見られるようにしてしまうしくみ、だと思っています。
ネットによって情報流通のコストが著しく下がり、技術的にはさまざまなコンテンツは容易にコピーすることが可能となり、一旦公開されたコンテンツがあらゆる手段で共有されてしまう時代。コンテンツの権利者は自分のコントロール化でコンテンツを流通させたいでしょうし、ユーザー側としては自由にコンテンツを楽しみたいでしょう。
いろんなWebサービス上でコンテンツ供給側とそれを見る側との綱引きが行われていますが、その落としどころを考えるときに共有されるコンテンツの閲覧可能クオリティが重要なのかな、と考えたりします。
例えば、Tumblrでは画像をクリッピングすると長辺が500pixelになるようにリサイズされるのですが、これがもうちょっと小さかったら。例えば350pixelくらいまで小さければ、その画像が気になった人は元サイトを見に行くようになるかもしれません。自分が気に入ったもののクリッピングが小さくなってしまうのが困るってのなら、自分がクリップしたものは500pixelで見られるけど、他人がクリッピングしてダッシュボードを流れているものや、他人のTumblrを見てるときは350pixelで見える、とかいうのもいいかもしれません。
Youtubeやニコニコ動画を見てても同様なことを感じることがあって、動画共有サイトで共有できる動画のクオリティが高くなるのは見る側としては嬉しいですが、どんどん高いクオリティになって販売されている商品と変わらなくなってしまうと無断アップされている動画の権利者は非常に困る訳です。でも、逆にある程度の低クオリティでしか閲覧できないとしたら。それはweb上で公開されている試聴版などと変わらない状態になったりはしないでしょうか。
知らないコンテンツにいきなり高い値段は払おうとは思わないけど、内容が確認できてより高品質なものが欲しくなったから買おうってのはコンテンツ購入に至る経路として非常に理にかなっていそうです。
低いクオリティに限っては自由な流通を認めるって落としどころ、実際に実現するには技術的な部分(こちらは実現しようと思ったら特に問題はなさそう)とユーザー側の意識の問題(高クオリティなコンテンツの無断流通を自粛する動き)の両方が必要ですが、コンテンツ提供側とユーザー側が互いに歩み寄る落としどころとしては考える余地があると思います。