やはりネットリテラシーを広めるのが一番近道な気がする


記事単位での公開設定は活路になるか? - こころの風景」を読んで。

ああ、「ネット上で何かを書く人の心構えや正しい知識」をブログユーザー全体が共有できる日なんて来るのでしょうか…。まず“啓蒙”という言葉に「上から目線」と反感を喰らいそうです(そういや、以前「はてな」でも“啓蒙”という言葉についての論議があったような)。

たった数年の間に1000万人を超えるほどに増えたブログユーザーですが、その大多数は各ブログサービスのうたう「無料で気軽に楽しめます」的ないいとこ取りのセールストークに惹かれてやってきた人達です。

ブログを書くようなネット上に参加する行為を行うには、ネットという場を理解するリテラシーが重要になります。例えば「ネット上に何かを書くってのは、あらゆる人に見られるってこと」「ネット上はあくまでもネット上であり、他の場所でのマナーやルールが適用されるとは限らないこと」「ネット上ではさまざまな考え、思想の人とやりとりする可能性があるので、自分が知っている常識が全てではないこと」「どんなに観測範囲を広げても、ネット全体は見られないこと」「ネット上では自分のコントロールの及ばない場所が多くあること」などなど。

「無料で気軽に楽しめます」とか「簡単に儲けられる!」「みんなやってる」などのセールストークに釣られてやってきた人達の中には、トラブルに巻き込まれると「話が違うじゃないか」とばかりに耳を塞いでしまう人もいますが、そういう人達はブログサービス側がネットリテラシー的な部分の告知や啓蒙を怠った故の被害者なのかもしれません。



ネット上のコミュニケーションってのは、ネットならではな部分もありますが、大前提として人を相手にしているってのがあります。そこさえ忘れなければ、そう難しいことを考えなくても良かったりするのですが、ネットが持つ特性、年齢、立場、所在地などを飛び越えて交流できるってのは、そういう場所を経験したことの無い人にとっては慣れるのに時間がかかったり、年齢、立場などを心の拠り所にしてる人には相性が悪かったりってのはありそうです。



「システム的な何か」として、記事ごとの公開設定ってのが考えられますが、そういう機能が実装されているサービスを見てると、あまり効果がないかもしれません。

それは、ある記事を書いたときにそれを見せたい人ってのは、単純に個別ユーザーでくくったりできるほど簡単じゃなかったりすることが多いからです。そして、いちいち記事を書くごとに公開範囲を考えるって行為は相当に面倒な行為で、そんな面倒なことするくらいなら書かないでいいよ、って人が大半かとも思います。



不特定多数には読まれたくないなら、オープンな場で書かなければいい。

不特定多数には読まれたいけど、反論・否定的な感想を持つ人には読まれたくないってのは、ネットってのはそんなに都合のいい場所じゃない。

そういう現実がある上で、なお”読まれたくない人”の不幸を減らす何かってのは、読む人のそういう人への配慮なんでしょうけど、それを全ての人に求めるのは無理があります。”読まれたくない人”の大半がネットがどういう場かを知らない人であることから、ネットリテラシーを広めることで”読まれたくない人”って存在を減らすのが一番の方法なのかな、と。