ブログを続けていくこと


ブログは定期預金のイメージ - インターネットの真の姿とは
ブログ。10年後、宝物になっているかもしれない。 - かみんぐあうとっ」を読んで。

ブログにいろいろと何かを書くことに対して。


ブログに何かを書くことってのは、私にとっては自分の分身をネット上に作り上げるような行為だと思ってます。自分の感じたこと、考えたこと、気づいたことなんかをブログに綴ることによって、ネット上に自分の頭の中にある情報が蓄積されていき、他人はそれを見て私を認識する。

今、こうやってPCに向かって記事を書いている自分はここにしかいないけれど、ネット上では記事を書き溜めたブログを公開することで、他人は時間や場所を越えて私の記事=私の思考の一部に触れることができる。もちろん、他人のブログを見て他人の思考を感じることもできる。

自分の分身でもあるブログは、記事を書き溜めるほどにより自分っぽさをましていく。各エントリが自分の思考の一部を切り取ったものだとすると、それをたくさん集めることで次第に私の全体像が現れてくるという感じに。

長いスパンで考えるっていうのかな、半年、1年、3年、5年…10年というスパンでブログも考えたらいいんじゃないかな、って思う。
書き続けて、書き残して、そして振り返って自分の成長とかわかるものになればいいんじゃないかな。
あるいは、書いた人にとって何か意味のあるものになれば、それはすてきなことだと思う。

昔、ブログっていうスタイルがまだ無かった頃から個人ホームページなどを作ってた身からすると、ブログという更新が楽で、単独記事ごとに個別URLが残り(permalink)、読むときもRSSフィードで快適に購読することができる、という今の形になって、ネット上に自分の思考を情報発信していくのがとても快適になりました。

個人ホームページを始めた10年前の記事は、web上に残っているアーカイブなどを探すことでその一部を見ることはできますが、もう公開は止めてしまっています。ブログもここに移転してからの記事は全てここにありますが、それ以前のブログは自宅鯖で公開してて、その自宅鯖は今は止めてしまったのでウェブ上でそれを見ることは出来ません。


自分の分身を作る感覚でウェブ上で情報発信してるので、できる限り全ての記録はそのまま残しておきたいのですが、いろんな制約でそれも難しかったりします。でも、残っているものは私がかつて通ってきた道のりとして、いろいろと考えてきた証になってる。まだ10年ほどですから、宝物になるほど昇華されてはいませんが、数十年経ったら宝物になってるかもしれませんね。



自分が情報発信してきたことに関しては、単に自分が見返すだけじゃなくて、いつかそれをまとまった形として整理したいって願望もあったります。

結論として、ブログに過度な期待は禁物で、マイペースにやっていくものなのかなと。ブログとはまた違った形態ができれば、また人は変われるんではないかとひそかに期待してはいますが。

ブログを大いに活用してますが、ブログに期待できる役割、アーカイブ、メディア、コミュニケーションという点で考えてみると、アーカイブ、メディアという効果が大きな部分を占めており、コミュニケーションに関しては機会が生まれるだけで、実際のコミュニケーションは他のWebサービスだったり方法だったりで行うことが多いです。


ブログを書いていると多くの人とコミュニケーション取れるかもしれない、という期待をもつ人も多いと思うのですが、コミュニケーションってのは片側通行ではなく双方向にやりとりするもの。自分が語りかけられたいと思うほど、自分は誰かに語りかけているか?ってことをよく考えます。

私は、ブログで自分の考えを書くことに対して反応を示してくれた人になるべく応えようと思いますし、また何か話したいと思う人をウェブ上で見つけたら、何らかの方法でその人に向けて語るという方法を考えます。ブログならトラックバックを飛ばす、とかいう形で。


ブログや何かのWebサービスを使ったから人が変わる、というよりかは、ブログや何かのWebサービスを使って人は変わることができる、というのがしっくりくるかな。



人々がネット上に何かを書くようになって、まだせいぜい15年ほど。それらをどういう風に利用したり、活用できたりするか、なんてのはまだまだいろいろ考えられる段階だし、ネット上にはいろんな新しいサービスもどんどん生まれてくる。

今、こうやってブログを書いてることも後数十年経てば昔話になってるだろうけど、そこに続く道は今までこうやってブログを書いてきた道から続いてる。だから、ブログは面白い。