誠意をもってコミュニケーションするのはなぜか?
「「消極的な追認」の難しさと、「好意的に読んでもらえないこと」を知り、「悪意」の混同を避けること。 - どんなジレンマ」を読んで。
できるだけいただいたコメントは残す方針で運営した結果、自分とは違った考え方や、相容れない考え方も自分のblogにコメント欄として掲載することになります。これは、blogの閲覧者さんから見れば、「消極的な追認」をblog主が行ったとみなされても仕方がないのではないでしょうか。削除する権利を行使しないのですから。
ブログのコメント欄に対し何を望むかってのは、それぞれのブログ主ごとに違ってて、コミュニケーションを望む人もいれば、自分の主張に対する反応(反論や異論も含めて)を望む人もいます。私の場合は、スパム・誹謗中傷以外であれば自由に発言してもらいたいという立場で、そのように削除を行っています。
削除しない発言は残っていてもかまわないと思っていますが、その考え方や意見まで認めるというのとは違ったり。発言の存在は認めるけど、内容に同意するかどうかはまた別問題。
コメント欄で悩むのは、悪意があるかどうかのの線引きが難しいこと、本文を超えるんじゃないの?ってくらい長文で自論を展開してくる人の扱い、でしょうか。
悪意があるかどうかの線引きが難しいってのは、初見で「あれ?これは誹謗中傷かな?」と思った発言が、その真意を問いただしてみると何かしらの考えがあってのことで、単に言い方がぶっきらぼうだったり、ちょっと礼儀に掛けてたりってだけだったということがある反面、丁寧な文章だけど揚げ足取りや曲解しかしていない内容を連発されたりということもあるから。
本文を超えるくらいの長文コメントに関しては、できれば人のブログのコメント欄ではなく自分でブログを開いて記事にしてトラックバックしてもらいたいです。
逆リンクの自動化と言及通知という点で画期的な仕組みだったと思ったのですが、まだMTのバージョンが低かったこともあるせいかスパムフィルタなどもなく、海外カジノ系のトラックバックの多さと、MTにパッチを当てたりするのが負担だったので、レンタルblogサービスに移行したことがあります。
私も2003〜2005年くらいの時期にMovableTypeでブログをやってましたが、MovableTypeを使ってると海外カジノ系のトラックバックスパム多かったですね。日本語本文がない記事をはじいたり、いろいろブラックリストを参照してトラバ弾いたりと苦労してた記憶があります。
その後、はてなダイアリーに移って来てから悩まされているトラックバックスパムは、日本国内からのトラックバック自動ツールを使ってるであろうキーワードで引っ掛けてそれに該当するRSSを吐いてるブログにトラバスパムを飛ばしまくってるブログからのもの。国内の上位ブログサービスのほとんどから、これでもかってくらいトラバスパムを撃ち込まれている状況がずっと続いています。
「大勢の人」全員から好かれることは出来ないです。大半は無関心かもしれないし、好意的に読んでくれる方がいたとしたら、同じくらい否定的にとらえる方がいらしても不思議はないです。好意的に読んでもらえないことと、「悪意」を混同しないように自戒したいですし、もし何かを批判する必要があるのなら根本動機として「悪意」があると誤解されない批判の仕方ができたらいいなぁと考えています。
「好意的に読んでもらえないことと、「悪意」があることを混同してしまう」ってのは、難しいところですね。
自分の主張に対する反論や異論を聞く耳はありますが、それに悪意をコーティングされてしまうと聞く気にはなれません。「もし何かを批判する必要があるのなら根本動機として「悪意」があると誤解されない批判の仕方」をするってのは気をつけたいところです。
「誠意をもってコミュニケーションするのはなぜか」ってタイトルの問いの答えは、「相手と中味のある議論がしたいから」と考えています。余計なすれ違いで大事な気づきがあるかもしれないせっかくの機会を失いたくないから。