求める情報で入手先を変える


ネット内における情報の質について - o_sawaの日記」を読んで。

ネットにおける情報でありがたい、と思うのは、何かを知りたいと思ったときにそれに到達できる速度。PCの前に座っていて何かを知りたいと思ったら、早ければ数秒、場合によっては数分かかるが、だいたい知りたいと思う情報にたどり着くことができます。(もちろん全てではないが)

また、一つの話題の盛り上がりが拡散的に広がって行きつつ、いろんな考え方を見られるってのもまた、ネットで情報を見る時のありがたい点。個人が書いているブログの質は高いものから低いものまで玉石混合ですが、それらがいろんな話題で繋がっていて、いろんな考え方が眺められるってのはネット以外ではほとんどありえません。



ネットを利用するようになって十数年経ちますが、他の情報収集手段を使わなくなったか?と言われるとそうでもありません。つまらない番組が増えたなぁ、とは思いつつもたまにテレビを見るし、書籍はネットをしていなかった頃よりむしろ読む量が増えたくらい。

テレビを見るってのは、気楽に受け身で情報を受け取るというラクチンな情報収集手段。何も考えないままにボーッと見てられる。情報収集の機会と速度ではネットに譲るものの、あるテーマについて深く知りたいとか、まとまった情報を読みたいってときには書籍はネットに勝る。

求める情報(の質)に応じて、情報の入手先を変えるってことを、自然と行ってるようです。



私はあまり利用しないのですが、携帯電話でネットを利用する人はかなり大勢いて、それは携帯専用のサイトを閲覧するということのようです。携帯小説などを見てみましたが、PC上から見ると行間空きまくりで文字数がものすごい少なく「何だコレ?」と思ってしまう様な代物でしたが、携帯電話のあの小さな画面で見るってことを考えると、あの文字数ってのはある意味そこに特化したもので、そこで生まれた文化が携帯小説という形なんでしょう。

情報ってのが、それが公開される場に応じて、それぞれに特化した形になっていくってのを感じます。


今僕が求めている情報を表現するならば、「密度が濃く、深さを伴った分析」を持ち、それでありながら「必要十分な表現で簡潔に言い尽す」、書き手の知性を感じさせるものです。

ブログはネットにおける個人の情報公開手段の一種ですが、書き手、読み手、共に多くの数が存在するようになって、ブログにおける情報の種類も非常に多岐に及ぶようになりました。面白さを追求するもの、自己主張手段、議論する場、罵倒しあう場、いろんな使い方が存在していて、上記に引用したような内容のものも存在してはいますが、おそらくごくわずか。

世の中で多く読まれるもの、つまりブログにおけるアルファブロガーの書くブログの中にもそういうブログはあるでしょうが、「大衆に受けるもの」だったり、「情報の早さ」だったり、「世の中を斬り捨てる毒舌」なんかで多くの人を魅了しているブログも多いでしょう。内容の質が高いからアルファーブログに、というよりかは、多くの人に注目され読まれる内容だからアルファーブログと考えると、アルファーブログとその内容の質が高いかどうかが一致しないってのも納得できるかもしれません。




自分がブログに何かを書く時のことを考えると、ある程度の推敲くらいはするものの、適当にまとまったところでアップしてしまうことがほとんど。自分で十分に考え話をまとめ、完成度を高めた文章もいいのですが、それよりも荒削りな文章をアップして、反応を見る方が楽しいことに気づいてしまってからは、そういう書き方が多くなりました。

質を高めることだけを追求してしまうと、なかなかブログを公開できなくなってしまいそうだと感じることもあります。荒削りだったり、不十分だったりするかもしれないけど、何も完璧な物が求められる場ではないのだから公開できる、ってのもあります。



人によって求める情報の分野や種類はまちまちなので、アルファブロガーなどのくくりにこだわらずいろんな自分の読みたい情報を提供するブログを探してみるといいかもしれません。また、自分から情報発信してると、同じ分野に興味を持つ人が集まってくる、なんてこともあります。