何を信じるべきかを探す


ネットの使い方で大きな差がでるこれからの時代 - 北の大地から送る物欲日記」への反応から。

ネットの情報は裏を取る必要がありますが、これは口コミと同様、発信者が信用できるかどうかの判断も重要です。 で、実際、効率良い情報収集はその道のプロの信用できる言葉を得ることです。 勿論、その言葉がプロが責任を持って発信しているかどうかも見抜く必要がありますが、実際は鵜呑みにしている部分も当然ありますね。 本人がどういう意図を持って発信しているかが、その情報の内容以上に重要かもしれません。 発信された情報はかならず自分で検証する必要があるとも思います。

ネットに書かれている情報は本当かどうかの保証はありません。だから、書かれている情報が本当かどうかを判断する、いわゆるリテラシーという能力が必要とされるのですが、これが案外難しい。


例えば、ネットで何かについて言及された記事を読む場合は、その言及している記事を読むだけでは不十分で、言及されている元記事も読んだ方がいい。なぜかというと、言及した記事の中で引用などで取り上げられている部分を読むだけでは、元記事の意図しているところを本当に理解しているとは言えないから。

元記事を読んだからと言って、元記事著者の言わんとしているところを100%完全に理解できる訳ではありませんが、それを取り上げた人の引用部分だけを読んで理解した気になってしまうよりはずっと元記事著者の考えに近づけます。



テレビや新聞の報道だってそう。同じソースから来ているはずなのに、取り上げている番組や新聞で見解が違ってたりなんてのもよくあることですが、これは言及する側が取り上げたい部分だけを取り上げているから。



ネット上で何かを話すときに「ソースを提示しろ」と言われることが多いのは、「あなたが本当のことを言ってる保証はないから、信じるに値する元情報を見せてください」ってこと。


元情報にあたれないときは、過去の行動が信頼に結びつく


でも、何もかも元情報にあたれる訳ではないし、推測や仮定を元に話をすることもあります。そんなときどういう部分で、その情報が信じるに値するかを検証するかとなると、その人がそれまでにネットに残して来た行動履歴から判断するしかありません。

自分が書いた情報を頻繁に削除して無かったことにしたり、相手に要求することを自分には適用しないような行動ばかりしている人が書いていることの信頼性が低いのは言うまでもありません。

また、行動履歴が残らない匿名での発言の信頼度が低いのも、それを保証するだけの行動履歴が残っていないから。


ネットの登場で何を信じるべきかが変わる時代


かつては、テレビや新聞で報道されている情報に疑いを向ける人はそんなにいませんでした。それは、そこで報道されていることを確かめるすべを多くの人が持っていなかったから。

でも、ネットの登場で直接一次情報にあたれるようになったり、テレビや新聞以外にも専門家や個人の発言などが数多くネット上にアップされるようになって、何かについて知ろうとしたときには多くの方向からそれを検証することが可能となりました。



ネットでは、「今までは信じられていた○○は実は××だった!」みたいに、真実を暴く!的なことを書いている人達がいっぱいいますが、ここで思考停止してしまって「なんだ、今まで信じてたけど××だったのか!」と安直にそれを信じてしまうのは危険です。それでは、テレビや新聞を盲目的に信じていたのと変わっていません。



本当に正しいことは何なのかを追求するのは難しいですが、ひとつの情報を信じてしまうのではなく視野を広げていろんな方向から多面的に物事を見るってのは、心がけしだいで結構できるものです。

例えば、ブログを読むのでも、気になる記事があったら、コメントやその記事にトラックバックしている記事を読んだり、はてなブックマークのようなソーシャルブックマークでの反応を見てみたり。



これからのネットの使い方で重要な点のひとつとして、信じるに値する行動や情報を提供してる人を探してキャッチしていくってのがあげられるでしょう。