あなたに見えているネットはあなたの姿を映してる

web上でのコミュニケーションって、どこかしら鏡を相手にしてるようなものなのではないだろうか? 周りに罵詈雑言まき散らす人は周りからも同じ罵声を浴びるし、他人に敬意を払わない人はやはり敬意をもって扱われない。何かを発信し続ける人の所にはそれに関する情報が集まってくる、などなど。

hejihogu on Twitter: "web上でのコミュニケーションって、どこかしら鏡を相手にしてるようなものなのではないだろうか? 周りに罵詈雑言まき散らす人は周りからも同じ罵声を浴びるし、他人に敬意を払わない人はやはり敬意をもって扱われない。何かを発信し続ける人の所にはそれに関する情報が集まってくる、などなど。"


ネットに限った話ではなく、日常生活一般などもそうなのだろうけど、自分が周りに接している態度、行動なんかは、それが廻り回って自分に返って来てることが多い。

引用したtwitter発言中に書いた「周りに罵詈雑言まき散らす人は周りからも同じ罵声を浴びるし、他人に敬意を払わない人はやはり敬意をもって扱われない。何かを発信し続ける人の所にはそれに関する情報が集まってくる」ってのもそうだし、他にも、面白いことをやってる(発信してる)人の所には面白い人が集まってくる、とか、人をバカにしてばかりな人は他人からバカにされている、などなど、似た様な話はいくらでもある。



日常生活だと、まず環境(家族、知人、学校、会社など)ありきな部分が大きくて、どうしても行動が影響する範囲が狭いので、自分の行動が廻り回って自分に返ってくるってことが意識しづらい。でも、ネットだと互いに立場がフラットな関係で参加する場が多いし、立場関係なく、直接用件や本音で語れる部分が多いので、自分の行動が廻り回って自分に返ってくるというのが、日常生活に比べるとずっと見えやすくなるのではないだろうか?

もちろん、ネット上で匿名で行動していれば、自分の行動が戻ってくる先がないので無責任にもなれるだろうし、逆に何かしらの名前を残して(必ずしも現実の実名でなくてもいい)行動していれば、良くも悪くも行動が自分に返ってくるのを意識できる。



ネットってのは、いろんな特徴があるものの、コミュニケーション手段、情報共有手段のひとつでしかない。

うまく使えば、自分に大きな利益やそれ無しではあり得ないような人間関係をもたらしてくれる反面、匿名の隠れ蓑に隠れているうちは自分に何かが返ってくることはないだろうし(情報というおこぼれにあずかることはできる)、周りに攻撃してる人達は同じ様に周りから攻撃される。



ネットってもっと多くの何かをくれる所じゃないの!?って人は、まずは自分の持ってる何かを誰かに与えるところから初めてみるといいのかもしれない。自分にとってはどうでもいいような情報でも、どこかにそれを必要としてる人が居たりするものだから。