世代によって違う国や会社が信用できない時代の生き方

インターネット世代の現役学生や新入社員は、すでに会社や国を信用していない」を読んで。


「国と個人」「会社と個人」の関係がインターネットにおける「ISPと個人」と似ており、後者においてリテラシーの高い個人はネット活動におけるインフラのすべてをISPに依存することなく別な業者や自力でそれを構築することで、自らのネット活動が破綻する危険性を回避するのと同様に、今の若い世代は国や会社との関係を同じ様に捉えるだろう、という話。



「国と個人」「会社と個人」「ISPと個人」のそれぞれの関係が、「構成員(もしくは利用者)の活動をサポートするための共同体と個人」という意味合いで似てるというのはそのとおり。

ISPと個人」というネットという新しく現れた別世界(とは言っても現実世界にリンクしているのですが)上での例がここ20年ほどで急激に発展してきたものであるのに対し、「国と個人」「会社と個人」というのは昔から存在している関係だけれども、そのあり方は同じくここ20年ほどで大きく変化してきているのは間違いない、そしてそれは発展ではなく衰退の方向で。

向かっている方向性が違えども、人は一人では生きられないし、個人活動には限界がある以上、国や会社に所属したり、ISPを利用したりするのだが、それらが持つ不安定さを回避するには一カ所にすべて依存するのではなく、うまく乗り換えたり、複数の対象に所属・利用したりするリスク分散が有効であり、能力のある人ほどそういう形をとる時代がもう来ている。



ネットという現実とリンクした別世界が出現し、そこを通じてさまざまな情報のやりとりが迅速にかつ低コストで行えるようになった結果、国や会社という存在においてかつては情報が遮断されていたり占有されていたりすることをもって機能していた部分が、ことごとく破綻し崩壊して新しい何かに置き換えられて行くのをここ20年で何度となく見せつけられてきた。

今の日本の現状は、古い形式やしきたりを守ることに必死になりすぎて、新しく変化していく世界に対応しきれずどんどんジリ貧になっていき、結局は新しい波にさらわれて古い形は沈んで消えてしまうという事象があちこちの分野で繰り返されている。



過去の成功体験が大きかった故に変化を恐れているのか、古い世代においてさまざまな分野で過去のしきたりをなんとか維持させようという意識が大きな反面、生まれた時から不景気、不安定、そして変化続きだった若い世代はそういう成功体験を持たないが故にがむしゃらに何かに夢中になる意欲の減少と何かに依存せずリスク分散するという処世術を身につけているのかもしれない。