ネットは現実の世界の可能性を広げてくれるから勝手に広まっている

ほんとうに、そこまで仕組まれてたのかは分からないけど」を読んで。

いわゆる普通の人がネットに何かを発信するのって、実はその情報を欲しい人達に仕組まれていたんだよ!Ω"  ΣΩΩΩ えええっ!?ってのは、まあ、考え過ぎ、かな?


人はなぜネットに何かを発信するのか


まだwebが出来たばかりで、テキストと画像を表示するくらいしか無かった頃に何かをwebにアップしてた人達って、月に到達したから、南極点に到達したから旗を立てる、的な意味合いで、ネットという世界中の人が見に来られる場所ができたので、そこに自分がいる証を残してみよう、みたいな感じで何かをアップしてたんじゃないだろうか。

今からたった20年くらい前の話。



それから、あっという間に人々の間にネットを使う環境が広がり、webに何かをアップすることはどんどん広がって行った。HTML言語を記述してホームページと呼ばれる自分のサイトを作るのが流行った頃は、自己紹介に掲示板のみなんてサイトが流行った。自ら何か公開する内容を持っている人や声高に何かを主張する人なんてのは少なくて、とにかくネットという場所に何か自分という存在をアピールしたい、残してみたいってブームみたいなものだった。



やがて、日常的な雑記を日記形式で書く人が増え、これは普通の人が普通に発信するためのスタイルとしてそれが便利だったからなのだろうけど、日記サービスなどを経て、のちのブログエンジンの開発、無料ブログサービスの登場、流行の流れでブログという今に続く日常的な情報発信スタイルが確立された。



じゃあ、何故人はそこで何かを発信したのだろう?って思い返してみると、世界中の人に届く、読んでもらえるかもしれない可能性を持った何かを発信できる場所がそこにあったから。ネットという場所は大勢の人達の発信する何かによって作り上げられていく。



Web2.0なんて言葉が流行ってた頃から、気づけばもう結構時間が経ってしまって、結局Web3.0はやってこなかったけれども(笑)、あの頃から何が変わったのかといえば、「twitterが登場した」「SNSが大きく普及した」「スマートフォンの普及で携帯ネットとPCネットが融合しつつある」ってところ。


twitterが登場した


今なにしてる?を140文字でつぶやくサービス、twitter。分類的にミニブログとかマイクロブログと呼ばれてたりしたけれども、雨後の筍のように類似サービスが大量に現れた2007〜2008年を乗り越えて、結局残ったのはtwitterだけだった。



短いつぶやきを発信できる、というのは、ネットにおける発信のスタイルを大きく変えた。それまでのブログのようなまとまった文章を投稿するスタイルでは、どうしたってPCで書かれるようなどっかりとどこかに腰をすえて書く様な分量や内容がほとんどだったのが、twitterではモバイル環境からどこででも簡単につぶやくスタイルが主流となった。

どこでも簡単につぶやけることから、様々な他のwebサービスの情報発信の場としても活用されたり、フォロー・フォロワーという関係から多くの新しいコミュニケーションが生まれたり、favoriteやRTで情報が素早く広く拡散していくという現象も起こるようになった。


SNSが普及した


特に自ら情報発信しようと思う何かを持たない普通の人々にとって、あらかじめ公開する内容や交流方法などが用意され、現実の知り合いと時や場所を超えてネット上で繋がることができるSNSはとても居心地が良い空間となった。

自分の存在そのものが参加理由となるSNSによって、普通の人もネットに参加する理由や場所ができ、より多くの人がネットに情報発信する土壌を作り上げられた。


スマートフォンの普及で携帯ネットとPCネットが融合しつつある


まあ、これは日本ローカルな部分でもあるのだけれども、2000〜2007年くらいの時期を振り返ってみると、携帯電話によるネットとPCによるネットがほぼ分断されており、それぞれ別々な世界を構築していた。

このまま別々の二つのネット世界が別れてる形そのままに発展していくのかと思いきや、iPhoneの登場以後から普及期へと突入したスマートフォン、モバイル環境で使える携帯PCのような携帯電話、の普及により、かつての携帯ネットを成立させたフューチャーフォンがものすごい勢いでスマートフォンへと置き換えられて行く時代へと突入した。


これは、携帯ネットがPCネットへと次第に取り込まれて行くことを意味しており、結局ネット上はひとつの世界に集約されることとなった。もちろん、すでにネット空間は広大なエリアに展開されていて、そうそう簡単に全てを見渡せるような状態では無くなっているけれども。


ネットで普通に生きる状態


現実世界で生きていくとき、人々は日常で何かを発信しようとか考えずに普通に生きている。これがネット世界となると、何かを発信すること、140文字以内のつぶやきや写真投稿、ブログ更新、なんだっていいけれども、発信すること自体がそこにその人が存在している証となる。



ネットを使う道具がPCだけの頃からスマートフォンタブレットのようにより簡単にネットを活用できる道具がでてきた時代になって、より多くの人がネットに何かを発信して、ネット世界を構築する一員として参加できるようになった。

いわゆる「普通の人」が多くの発信をすることでネットに参加して、ネットは「普通の人」がごく当たり前に存在する空間となった。



それは、どこかの誰かにいぶりだされたからなのだろうか? きっと違うと思う。



ネットというのは、現実とさまざまな形で繋がりながら、現実をいろんな角度から拡張してくれる場所。それは知識だったり、人間関係だったり、自己表現だったり、仕事だったり。そうやって拡張されていく世界が面白そうで、だから人はそこに参加する。情報発信という形で。



将来「普通の人」が主役になる時代がやってくる、という数年前のWeb2.0の主張は、「普通の人」がごく当たり前にネットを使う時代がやってくるという予想で、それは先に挙げた3つの要素のような大きな変化で現実のものとなった。

「普通の人」が参加するもう一つの世界が出来たから、企業はそこをうまく活用して自分たちの商品開発やサービス展開の足がかりとしているのだ。


「普通の人」が参加した後、どうネットは変わって行くのか


SNStwitter、ブログが揃い、人々がネットに参加する土壌の基本はほとんど完成されたと言ってもいい状態になった。これらを中心として、写真共有、動画共有、動画配信、ファイル共有などいろんなサービスが周りを補う形でネットの世界はどんどん現実の世界の多くの部分を補完・拡張するようになっていくだろう。

twitterによる人々の情報発信の最小単位は、モバイルデバイスに搭載されたセンサーによる各種情報の自動発信などでより細かい情報発信へと進化し、それらから集められた膨大なデータは我々により便利な情報を提供してくれる基となるだろう。



「普通の人」が参加し、今までは見えなかった、隠されていた部分が多かった世界中の様子が明らかになるにつれ、一部の人が情報を操作することで実現していた現実社会の歪んだ部分はどんどん崩壊していくこととなる。



人々がネットから得た情報を拡散させる能力は、我々の能力を拡大し、多くの新しいチャンスを生む一方で、間違った使い方によって大きな社会的反動をくらったり、制御しきれない部分が社会に大きなダメージを与えるようにもなってきた。

多くの個人情報を預け高まる依存度とますます増大していくセキュリティ問題。ネットを活用する人としない人との情報格差。匿名性を利用して一方的に他人を攻撃する人々の存在。

ネットは多くの可能性を我々に与えてくれる反面、その使い方や高まる依存度がさまざまな問題点を生むこともあって、ネットの正しい活用方法の理解は今後を生きていくときに必須なスキルとなる。



きっとこれからのネットの広まりは止まらないだろう。それが現実世界の全てを覆い尽くして、新しい可能性を出し尽くすまでは。