書く事に関してのデジタルとアナログ

手で書くということ - G.A.W.」を読んで。

文章を書くときにある二つの形、「手で書く」か「キーボードで打つ」かの、「手で書く」ことについて語ってるエントリ。


手で書くこととキーボードで打つこと


大学の卒論を書くのにMacを使ってて、もうキーボードで文字を打って文章を作るのが一般的になり始めていた頃。少し上の学年の先輩達はワープロを使ってて、それよりもっと上になると手書きで卒論って時代。



キーボードで文字を打つって、タイピングに慣れるまでは非常にもどかしくて苦痛な作業なんだけど、一旦タイピングに慣れてしまえば、思考に近いスピードで文字をどんどん入力する事が出来る様になる。

しかも、後から好きに入れ替えて編集したりできるし、複雑な漢字だって変換一発!・・・いや、二発!三発!!で出てくるし、印刷すりゃあ、非常に綺麗な見栄えで出てくるし。



一方の手書きは頭の中で考えてるスピードにとうてい追いつかない速度でしか書けず、たまに漢字忘れてひらがなになったりして、あ、字を間違えた!となると消しゴムで消すかボールペンならがががっと黒く書きつぶしてまた書き直し。



卒論を書く時期にコンピューターが使える時代に生まれて良かった!と、数年前の先輩達が書いた手書きを卒論を読みながら思ったものだった。


それでも手で書いてる


じゃあ、もう手書きは卒業して、文章たる文章はみんなコンピューターで打って済ませる様になったかというと、案外そうでも無かったりする。



大学での研究時代、実験系の組み立てだったり、ちょっとした計算やアイデアメモだったりは、研究室に積まれている大量の片面印刷廃棄書類、これは裏面を使うためにとっておいてあるもの、をぐわしと一枚引き出して、がががっとボールペンで書きなぐるスタイルだった。

A4の紙の上を、あっちこっちすっとびながら自由に書けるのが良かった。



コンピューターで文字を打つのは、単に文章を書くのに特化してる時はいいのだが、何かを考えたり、自由なレイアウトが必要だったり、という書き物作業のときには、手で書く方が圧倒的にはかどった。



手で書くというのは、頭での思考速度よりずっと遅い速度での筆記となり、しかも手で文字を書くということにずっと意識の一部を持って行かれるために、半強制的に思考を頭の中でぐるぐると回してるような状態になる。

そのせいか、書いてる途中に今書いていることと関連した何か別なことを思い付くことが多い。



結局、卒論を書いてから十数年経つ今でも、「コンピューターで文字を打つ」のと「手で文字を書く」のは両立している。文章を書くのに集中したいときはコンピューター、アイデア練ったり想像働かせたりのときは手書き。



デジタルな手法とアナログな手法、どっちもそれぞれに良い所があるので、うまいこと使い分けてるようだ。