他人の考えや経験から何を自分の人生に取り込むか

Chikirinとジョブズの卒業スピーチに共通するもの」を読んで。


何を求めて文章を読むか

結論から言えば、Chikirinの日記とジョブズスタンフォード大学での卒業スピーチには、あんまりよろしくない共通点がある。それは、両方とも「煽りっぱなし」ということだ。

Chikirinとジョブズの卒業スピーチに共通するもの - quipped


世の中、こういう見方もあるよ、こんな視点もあるよ、こんな人生もあったよ、という内容だと感じてる「Chikirinの日記」や「ジョブズスタンフォード大学卒業スピーチ」、受け取り方によっては確かに「煽りっぱなし」と感じるのかもしれない。

でも、それらの文章なりスピーチなりって、問題提起や新しい視点の提示、人生の指針の提案であって、人生の解決法を述べてる訳じゃない。Chikirinさんやジョブズが今まで実行してきたことで、彼らの人生がどう変わったかというのも語られているが、それはその方法を取ったときの、その視点を持ったときの彼らの体験を語ってるに過ぎない。



こういう生き方や視点を示す文章やスピーチというのは、自分の人生においてどっちの方向を見れば良いか、どこを目指したら良いのか、どういう道を選んだから良いのかという選択の指針として参考にすべきものではあるけれども、この通りに実行したら必ず成功します!人生を保障します!的な人生におけるマニュアルのようなものではない。


人生と言う問題に万能な解決方法なんてたぶんない

でも、もう一度彼のスピーチをよく聞いてほしい。感動させられたり、ハッと思わされることはあるだろうが、どうやったら「自分の直感を信じて進める」ようになるかも「絶望の淵から再起できる」かも「思い切ってやれる好きなこと」を見つけられるかも、彼のスピーチからは欠如している。

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「自分の直感を信じて進んだ」「絶望の縁から再起できた」「思い切ってやれる好きなこと」をやった、つまりジョブズ自身の生き様を語ってますからね。



「自分の直感」を信じて進むためには、そもそも自分の内なる声「自分の直感」に気づいていなくちゃならない。「自分の直感」が見えていないとしたら、きっとその方向についてそれほど真剣に考えていないか、そもそも経験が足りないか。「自分の直感」ってのは、天から降りてくる天啓ではなく自分の内側からわき上がる叫びみたいなもの。



「絶望の淵から再起」するというのは、何をやってもダメ、状況は最悪、もう打つ手は何も残っていない、という状態から再び立ち上がったということ。そういう状態のときに、それでも足掻くために必要なのは「自分の直感」「思い切ってやれる好きなこと」「自分の信念」という、そんな状態のときにでも自分を奮い立たせられる自分のモチベーションの源泉のようなものを持っているかということ。



文章なりスピーチなりを読んだり聴いたりするときは、何もそれを妄信しなくても良くて、そこから自分の人生を進める方向を決めるときに参考になる部分や見習いたいと感じる部分を見つけて、自分の心のノートの一ページに付け加えていければそれで十分だと思う。

その文章やスピーチに足りないと感じることがあったら、それは自分の頭で考えてもいいし、他の文章やスピーチから探して来っていい。


でも、本当に大事なテーマは、「どうやったらそういうことが可能になるのか」「仮にそうなったとして、それが果たしてよいことなのだろうか」といった、問題提起の先にあることではないだろうか。そこまで考えを巡らせて、はじめて提起された問題は意味をなすのではないか。

Chikirinとジョブズの卒業スピーチに共通するもの - quipped

こうやって考えさせてくれただけでも、先の文章やスピーチは意味があったんだと思う。


もちろん、Chikirinさんやジョブズではない他の方たちが、問題提起の先にある解決法を模索しているのかもしれない。しかし、彼らの言葉や主張を神々しく引用する人たちの多くは、煽られっぱなしで、そこから先どうしたらよいかを、自分のアタマで考えていないような気がする。

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神々しく、神のようにあがめてしまうのは確かにやりすぎ。何か一つの考えを妄信してしまうというのは、そこで語られていることさえ信じて実行すれば、全てうまくいくと信じてるということであり、そんなのは余りにも人生を簡単に考えすぎてるのだと思う。

素晴らしい文章なりセンテンスなりが我々の人生に大きな指針を与えてくれることはあるけれども、指針をあがめてるだけでは人生はすすまない。どうやってそっちの方向に歩いていくか、歩いたかがその人の人生なんだから。



だから、本や先人の言葉に耳を傾けるのは自分の進むべき方向を考えるときの参考として。そして自分の人生がどうなるかは自分がどう歩んだか、何を考えて何をしたか。

自分が何を参考として、どう考え、どう歩んでいるかをこうやって簡単にアウトプットできるようになった時代だからこそ、何を持って自分を作り上げていくのかってのは、自分だけの自分の道の歩き方としてこうやって残す意味があるんだと思う。