「発信者の憂鬱」はいつ終わるのか。

「NAVERまとめ」はいつ終わるのか。
「ブログ」はいつ終わるのか。 - あざなえるなわのごとし」を読んで。

「「◯◯」はいつ終わるのか。」シリーズとしての「NAVERまとめ」「ブログ」「Twitter」、嘆くところはパクリやら炎上メソッドやらで注目を集めてしまう状態、爆発しろ!って所でしょうか。



そのwebサービスの問題というよりかは、おおよそ人が情報発信するすべての場所においてつきまとう問題、「品質ではなく話題性で情報が広まる」「金や承認欲求が絡むと倫理観皆無なパクリが横行する」「情報発信する側のこういう苦悩は読む側には見えない見ない気にされない」。正に「悪貨は良貨を駆逐する」ような状況。



こういう状態が続いて、オリジナルで何かを発信する人々が少なくなれば、自然と全体のレベルも下がっていく。情報発信の敷居が下がり、誰でも簡単に発信できるようになったときに、その中から価値のある情報がどうやって抽出されていくのか、というルートは、あるwebサービスにおいては運営側のさじ加減による。


ただ、パクリなんかは排除できるかもしれないけど、ユーザーが話題性の高い情報をより読みたがるという傾向はどこまで行っても変わらない。PVとは違う別の尺度による抽出が必要なのかもしれないけど、話題性ではなく情報の価値に主眼を置いて個々の情報を取捨選択してくれるような人って、オリジナルな情報を発信する人と同じように数が少なくて、多種多様な情報すべてにおいてフィルタとなりうる存在にはまだ遠いのかも。



何かを発信する側としては、それがどう読まれようが自分の信念に基いてコツコツと発信していく、しかないんでしょうね。読む側の視点に立って内容を吟味したり、いろんな表現手法を模索したり、他には無いオリジナリティを追求したり。自分の信念って部分が薄かったり無かったりし、単に読まれたいという方向に傾倒してしまうと、簡単にフォースの暗黒面に落ちてしまう。


情報発信のための敷居はネットの登場により下がったけれども、それは世の中にかつて無かったほどの大量の情報が溢れることも意味していて、大量の情報から価値のある情報をいかに抽出するか、ってのはこれからの大きな課題。「悪貨が良貨を駆逐してしまう」のか、「発信者の憂鬱」が終わるときがくるのか。