相手を変えるためじゃなく自分を変えるために議論したい


ブロガーに意見して考えが変えられるなんて思ったら大間違い - novtan別館」を読んで。


ブログでも掲示板でもそうですが、ネット上で誰かと議論してるときって勝ち負けにこだわりすぎてる人が多いよなあ、と感じます。

私にとってネット上で誰かと議論するのは、相手が何を考えてるのかをより深く知りたいから、ってのがあって、相手に勝ちたい、負けたくない、とか相手を言い負かそうとか、相手の考えを変えてやろう、なんては思わない。

相手と議論しあって、互いに何を考えているのか分かって、それが相容れないものだったらそう考える人もいるんだな、それでおしまいです。相手との議論で何か得るものがあって自分の考えを変えるってのはアリだけど、それを相手に求めようとは思わない。もちろん、相手が自分の意見を見て考えを変えるってのはそれはそれで相手の自由。


自分の考えというものを確立するために、より多くの人がどう考えているのかを知りたい。だから、いろんな人と会話してみたいし、なぜそう思うか、考えるかが知りたい。何かの話題があるときに、深く追求する一方で、一歩引いた視線で見ることが多いのも、その話題をより深く理解するため。


相手の考えを変えるために議論するのではなくて、自分の考えをより深くするために、自分を変えるために議論したい。


ウェブに(限ったことではないけど)言論の自由があることを信じている人は、他者がそれを受け入れない自由も十分に持っている上で、価値観のあわないものを排除するのではなく、避けていく努力をすべきだと思う次第。

スルー力などと呼ばれる部分ですね。


いろんな話題にふれるのが好きですが、それが相互理解とか情報共有ではなく、単なる感情のぶつけ合いになってしまいそうな分野はスルーすることが多いかも。