期待と諦めのバランス


このブログでは、よく「ネットでは○○ができる!」と言う様な記事を書いてるのだけど、ネットを使えば何でもできるのかと言われたら全然そんなことは思ってなかったりする。



ネットはいろんなことに対するチャンス(機会)をもたらしてくれるけれども、チャンスがあるからと言って、チャレンジした人が全員成功する保証なんて何もない。

ブログを書いてれば、ネットを通じていろんな人と交流できるったって、ブログの記事にコメントを残してくれる人は数千アクセスにつき一回程度なもの。コメントし合うことが空気として存在しているSNSやそれっぽいブログサービスなどではコメントはいっぱいもらえるけど、コメントをもらうためにそこで文章を書く、のではなくて、自分が好きに書いたものに対してコメントが欲しいなんて贅沢な望みを叶えようと思ったら、実際のところはそれくらいの反応しかないのが普通だったりする。



じゃあ、なんで「ネットでは○○ができる!」みたいな記事を書くのかと言えば、実際に自分がそれを実行してやってきたという体験をしているから。

もちろん、それを真似したからって誰でも同じ経験ができる訳じゃない。でも、私がネット上で何かを成し遂げたのは、それを実際にやってみたから。やりもしないうちに「どうせうまく行かないよね」「あの人はうまく行ったけど、自分にはとても・・・」と尻込みしてチャレンジしなかったら、その何かを成し遂げられることは絶対になかった。



ネットに限った話じゃないけど、チャンスってのは成功の保証ではない。あるチャンスにチャレンジしたからって、確実に成功する保証なんて何も無い。でも、チャレンジしてみる事なしに成功することもないのも確か。




私がいろんなことを結構楽観的に捉えてたり、喜んだりするのは、その裏で「どうせうまくいきっこないけど・・・」とか「普通うまくいかないよな」と思いつつも、思い切ってチャレンジしてみて、その結果うまくいったから、というのがある。うまく行かないと思ってたのに成功すれば嬉しくなるし、そういう経験を何度か繰り返してると、難しそうなことでもチャレンジしてればなんとかなるんじゃ?と楽観的に考えられるようになる。



これが、逆に「こうすれば絶対うまくいくに違いない」とか「ネットで○○ができるって見たから絶対できるに違いない」と信じきって何かにトライして、それに失敗したりすれば、ものすごい落胆するだろう。「なんだよ、できるって書いてあったのに嘘じゃないかよ!」とイライラするだろう。

なんかネットを見てると、ネットに対して過剰な期待をして、それが叶わず嘆く人の書き込みをよく見かける気がする。そんなうまい話、ある訳ないのに。




こんな感じで、私はネットに対していろいろな可能性を期待しつつも、その反面できないこともいろいろあるよなあ、という諦めも同じくらい持っている。ネットに何かを書く時は、ちょっぴり後者をにじませつつも主に前者について書く事が多い。私には失敗に終わったチャンスも、どこかの誰かが成功するかもしれないな、なんて思いながら。



何事も、あまり過度に期待せず、うまくいったら儲け物だな、くらいの心構えで気軽にチャレンジするのが、案外成功の秘訣なのかもしれない。