仕事とその評価


ふとTwitterでつぶやいたつぶやき

自分が一生懸命やってることが全く評価に反映されない環境だと、人は無気力になるよなあ。まして、結果を出しても反映されないとしたらなおさら。

に、

@hejihogu がんばることと、賃金も含めて評価されることのあいだには、相関関係はあっても因果関係はないと思っている。低賃金な仕事でもがんばったりがんばらなかったりして、それはやっぱり低賃金だし、高給取りでも同様。賃金を上げることは、仕事をがんばることとは別の努力を要する。

と、id:y_arimさんからレスがついてたのを見て、ウォーキング中にぼーっと考えてたこと。



仕事という観点から考えると、y_arimさんの言うとおり「自分が一生懸命やる」ことと「賃金も含めて評価される」ってことの間には相関関係らしきものは見られても、因果関係はなさそう。

これは、一生懸命やったからといって必ずしも成果が上がるとは限らないってのが大きい。成果を正当に評価に反映してくれる組織があったとしたら、「一生懸命頑張るけど成果は50」って人と「適当にやったけど成果は100」って人がいたら、後者の方を高く評価するってことだから。

そして、仕事においては賃金を含めた評価に影響を及ぼす要素として、分かりやすい成果以外にもさまざまな要素が関与している。職場での立場であったり、評価する側とされる側の人間関係であったり。

そもそも、日本の場合には成果で評価が決まるようなシステムにはなっていない組織もまだまだ多そう。海外から取り入れられた成果主義も、単に人件費を浮かせるための賃金カットの目的で使われてしまえば、本来の狙いである社員のモチベーションアップには到底繋がるはずもない。

間違って導入された成果主義の反動で、労働者は成果主義よりも従来の終身雇用のような安定した雇用制度の復活を望む人が増え、そうなると評価はあらかじめ決められた枠組み(雇用年数に伴う給与体系)に沿うこととなり、成果が評価に反映されにくくなる。




仕事というのは、自分が行った労働に対してくだされた評価が賃金として支払われるというのが分かり易い形だが、最初に述べた「頑張り=成果」ではないこと、評価には成果以外のさまざまな要素が絡むこと、組織によって賃金体系(評価)の範囲が或る程度定まってること、などから、労働と評価(賃金)が単純な分かり易い式で表されることはまずない。

労働に対する評価(賃金)を大きく変えたければ、ただがむしゃらに頑張るよりも、より労働:評価の変換比率が良い仕事に乗り換える方のが正解だろう。



ここで、最初の「自分が一生懸命やってることが全く評価に反映されない環境だと、人は無気力になるよなあ。まして、結果を出しても反映されないとしたらなおさら。」に戻るんだけど、仕事内容に関わらず評価(賃金)が決まるような職場だと、頑張って成果を上げようとだらだらやって適当に仕事をこなそうと、評価は変わらない。なら、適当に手を抜くのが正解という空気になってもおかしくない。

さらに、評価が成果以外のさまざまな要素、正社員と派遣社員みたいな立場の差であったり、評価する側とされる側の人間関係であったりに大きく左右されるようなことがある職場では、ますます仕事に対するモチベーションが下がるだろう。



y_arimさんが書いていた「賃金を上げることは、仕事をがんばることとは別の努力を要する。」ってのは、労働:評価(賃金)の変換効率がよりよい仕事を探し、それに乗り換えるようなスキル(自分の能力をより高い評価へと変換できる仕事を探して乗り換える)や、成果以外のさまざまな要素による評価を上げるようなスキル(上司に取り入るなど)のことなんだろう。

これらのスキルの有効度は職種によってものすごい差があって、自らのスキルをいかして転職しながらステップアップが可能な職種もあれば、そうでない職種もあり、転職が有効じゃないような職種の場合には成果以外のさまざまな要素による評価を上げるようなスキル、つまりは社内政治で評価を勝ちとるようなスキルがより有効になるのだろう。




なんてことを、つらつらと考えてるうちに、家に帰り着いたので今日はここまで。