ネットを通じてバカになる人もいれば賢くなれる人もいる

Facebookはバカばかり - 田中一郎のスイーツブログ
やっぱりFacebookはアホばかり - 田中一郎のスイーツブログ」を読んで。

Facebook上でブラックジョークを元ネタとした作り話の美談が大量にいいね!、シェアされて拡散している事に対し、「嘘がソースの話は信用するなボケ」「安易に拡散するなハゲ」と斬り捨てています。

一つ目の記事に対する反応の「ネットリテラシーについての啓蒙エントリーだが、肝心の「なにも考えずに情報を拡散する層」には届かない。だから無駄なのでは?」と言う意見に対しても、あきらめずにネットリテラシーの向上を目指すべき、と。



わざと汚い言葉で煽りまくってネットリテラシーの向上を叫んでも効果は薄いと思うけど、ネットでのデマ拡散については考えるべき内容。


リアルでの発言とネットでの発言の違い


リアル(現実)での発言とネットの発言というのは結構違う特性を持っています。


リアルでの発言は、ごく近い範囲の人にしか広がらず、しかも口頭のやりとりだと後に残るものがありません。また人の記憶というのもあいまいなもので、伝言されていくうちにどんどん内容が変化していってしまいます。



一方で、ネットでの発言は消さない限りその場に残り、場所や時を超えてそれを読みにくることができるために、ものすごい拡散しやすいものとなっています。その特性のせいもあって、書かれた情報が正しい、正しくないにかまわず同じ様に拡散する、と思いきや、実際はそうではなく、人々が読みたい、気になる、扇動的な話題ほど拡散するという特徴があります。

だから、大げさに書かれたデマや、わざとらしく扇動的に書かれた記事(参照記事もそうですね)などは恐ろしいほどのスピードで拡散します。


正しい情報を伝える難しさ


ネットが信頼のおける正しい情報を得られる場として存在するためには、個々の参加者が正しい情報を発信するように心がけないとダメだ、ネットリテラシーを向上させないとダメだ、というのはもっともな話です。



でも、ある情報が正しいかどうかを確認するというのは、非常に難しいというのもまた事実。自分の目で見た、体験した、考えた一次情報を発信する場合にはその観察・経験自体は正しいかもしれませんが、自分の持つ情報、知識が何もかも全て正しいと言える人はどれくらいいるでしょう?



もし、仮に間違ったことを発信してしまっても、それを修正・訂正することができますが、頑なに自分の間違いを認めない人もまた多い。twitterで大勢の発言を見る機会が増えて、そういう人がうんざりするほどたくさんいるのを見ました。


自分の発言に責任を持つ人、持たない人の断絶


ネットにおける発言というのは、リアルでの発言よりもずっと広くに拡散するものだけに、発言した本人により大きな「責任」が発生します。でも、リアル、現実の世界でも自分の発言に責任を持つ人と持たない人がいるように、ネットでも自分の発言に責任を持つ人と持たない人が居ます。


ネットでは自分のちょっとした発言が大きく広がってしまうことがあり、無責任にデマを広めてしまうことにもなりかねない、という可能性に気づいていなかった人が、それに気づいたことで責任を持つようになる、というのは確かにあります。こうしたネットリテラシーの向上への努力、啓蒙はもちろん必要。



でも、自分の発言に責任を持たない人、自分の間違いを認められない人の多くがどこまで行ってもそのまま、というのもまた事実。


ネット全体を正しい情報だけにするのは無理、どうやって正しい情報を引き出すかを考える


結局の所、ネットから正しい情報を得ようと思ったら、正しい情報を発信していると信じられる人を探すしかありません。



人が積極的に広めるのは、その人が感動したもの、自分の考えを保障してくれるものが中心であり、そこにその情報が正しい・正しく無いが判断基準として加わる人というのは、限られた人しかいないので、どうしたってネットには正しくない情報が溢れることとなります。



ネットから正しい情報を引き出すことが難しくなるというのも問題ですが、正しくない情報がその話題性から必要以上に拡散・拡大したり、デマを元に行動する人が増えたりするというのはもっと大変な問題です。


ネットは普及するにつれリアルと同化していき情報格差を生み出す


より多くの人が当たり前のようにネットを使いこなす時代はもうすぐそこまで来ています。


昔のようにネットをしている人がごく一部で特殊な層だった時代はとうの昔に終わり、今は普通のリアル、現実の上にネットがレイヤーで存在しているような状態。現実に繋がったネット空間が人々のコミュニケーションや情報収集の能力を拡大させているが、一方で正しい事よりも、信じたいものが多く広まる状況に拍車が掛かっている状態でもあります。



正しい情報を追い求める人と、見たい情報を見て正しさは求めない人との断絶はもともと現実の世界でも存在していますが、ネットの普及によってそれはより拡大していくのでしょう。



ネットの登場によって、世の中全体がかしこい方向、よりよい方向に進化するのではなく、人々の得られる能力や情報により格差がついていくのではないかと、今回のような話題を考えたときに感じます。