紙と画面とでなぜ同じ文章上の間違いへの気づきが違うのかを考える

どうして紙にプリントアウトした方が圧倒的に間違いに気付きやすいのか - Togetter」を読んで。

紙に印刷した方が間違いを圧倒的に発見しやすいという現象についてのあれこれ。


確かに紙と画面では紙の方が間違いが発見しやすい


「紙(印刷物)と画面で同じ書類を見た時、どちらが間違いを発見しやすいか?」という質問をされたら、間違いなく答えは紙(印刷物)。



PCで文章を作成してそれを修正するなんて作業は、内容を問わず今まで何千回も、何万回も繰り返してきた作業だけど、最初にPCで文章や資料を作成した後、画面で見ながらチェックしたつもりでも、その後に印刷して最終チェックするとたいてい画面では発見出来なかった間違いを発見できる。


多くの人が同じように「紙(印刷物)>>画面」で間違いを発見できると感じてるので、最終チェックは必ず紙に印刷して行うように、と言われることも多い。


紙と画面の違いは何か?


では、紙(印刷物)と画面の違いはなんなのだろうか?ざっと考えてみると次のようなところか。

  • 解像度
  • 一覧性(紙は全体がパッと見える、画面は全体を見渡せない場合も多い)
  • 手軽に位置、角度、目からの距離を調整できる紙と、固定された中で不自由に操作して見る画面
  • 脳の認識


それぞれについて考えてみる。


解像度の違い


商業用の印刷物に必要とされる解像度が350dpi。モノクロのレーザープリンターだと600dpiとか1200dpiとか2400dpi。だいたい300dpiくらいの解像度があれば、普通の印刷物クオリティで文章が読める。



一方の画面の解像度は環境によって結構違う。今、メインマシンにしてるMacBook Proは15インチ液晶で1680x1050なので計算すると132dpi。サブモニタで使ってる24インチのフルHDモニタは24インチで1920x1200、計算すると94dpi。大きい分だけ表示はちょっと荒いことに。

最近、画面が高解像度になってきてこれくらいの数値なので、昔はもっと低い解像度な画面で文字を読んでたことになる。確かに数値的には印刷物クオリティの300dpiと比べるとかなり低く、低解像度故に読みにくいというのはあるのかもしれない。



Retinaディスプレイ搭載のiPhone 4は3.5インチで960x640、326dpiで、数字的には300dpi超えてて印刷物クオリティ。画面を見たときの見やすさというか、自然さは素晴らしく、特にwebを見るときの綺麗さは感動モノで一旦iPhone 4以降を使ってしまうとiPhone 3GS以前にはもう戻れません(いや、実際には併用してたりするのですが、かなり苦痛を強いられる)。

じゃあ、iPhone 4以降で文章を読むと間違いを発見しやすいのか?と言われると、正直な所よく分かりません。文章らしい文章である電子書籍は、解像度こそ高いもののレイアウトが悪くて読みにくいものが多いし、最大のネックは画面のサイズが3.5インチと小さくて、文章全体を把握できるサイズではないってこと。



もう近々発表、発売されるであろうiPad 3(もしかしたらiPad HD?)では間違いなく画面解像度が高くなるでしょう。今のiPad 2までの9.7インチ液晶、1024x768で132dpiが液晶サイズそのままに2048x1536で264dpiに。


画面サイズがiPhoneよりもずっと大きく、紙書類のサイズにより近いiPadの画面が高解像度化されれば、その上で文書を読んでみることで、紙と画面の間違いの見つけやすさの違いが解像度の違いによるものかどうかは分かるでしょう。


一覧性、手軽に扱える紙と固定された画面


印刷した紙は自分の好きなように見ることができる。好きな姿勢で好きな向きで、目に近づけてもいいし、机の上においてもいいし、寝転がって上を向きながらでもいい。ペンを片手に線を引いたり修正、追記することもできる。



一方の画面では、固定されたモニタの中で文章を見るしかない。画面に入りきらない文章はスクロールさせて読む必要があるし、全体を見たければ縮小表示させなくてはならない。画面という固定された枠の中から覗き見るような感覚。



こう比べてみると、紙に印刷された文章はより自分の好きなように自由に読んだり修正したりできるという印象がある。だから、より深い所まで読み込めて、間違いを発見することができるのかもしれない。



でも、これは画面で文字を読むという行為を大人になってからするようになった私達だからこその現象なのかもしれない。生まれながらにして画面で文字を読む機会が多い、今の若い人達だとこの辺の感覚は少し違うのかも。



もし、ここが間違いを見つけやすい理由だとしたら、この問題?を解決するには、紙のように自由に扱えるモニタ(!?)が開発されることが望まれるのかもしれない。すでに折り曲げられるモニタとかは実現しているので、近い将来にこういう技術を使った電子ペーパー的なデバイスが登場して、画面だけど間違い見つけやすい!とかになってるのかも。


脳の認識


「紙は見やすくて間違いを見つけやすい」「画面は不自由で意のままにならない」という思い込みで間違いの見つけやすさが違ってるんじゃないのか?という仮説。



没頭度、そこに入り込める感覚は、同じ文章を読むときには確かに紙の方が画面よりもあります。だからこそ、間違いを発見しやすい。この没頭度は、先に挙げた事例のようなスペック(解像度、一覧性、自由度)によるものなのか、慣れによるものなのか、両方なのか。





例は変わるけど、ゲームをプレイするときなど、いろんなサイズのゲーム機でプレイしてて一番没頭感を感じるのはPSPだった。あのくらいの画面サイズと目との距離、解像度が没頭するにはちょうど良い環境。そういう意味で、後継機たるPSVitaにはちょっと期待してるんのだが、購入はもうしばらく先になりそうなので、買ったら没頭感について考えてみたい。

この場合の没頭感はスペックによるもの。ゲームの場合、紙でのプレイとかないので。だから、没頭感にスペックが影響するってのはたぶん間違いはない。



更に違う例で、PCで文章を打ちながら作ることと、紙にペンなどで文章を書きながら作ることの違いを考えてみると、文章を作る行為的にはPCで文章を打つ方が漢字変換機能はあるし、自由に構成を入れ替えたりできるし、と非常に楽。一方で、紙にペンで書く方は不自由さは多いのですが、ゆっくり書かなければならない事ゆえか、PCで文字を打ってる時には感じられないひらめきみたいなものが多く出てくる気がする。

これは、同じ文章を作るって行為に関して、PCを使う場合と紙に書く場合で脳の働き方が少し異なってる、違う動きをしてるってことになるのではないだろうか。



そう考えると、文章を読むときでも、紙の上で読むのと、画面で見るのとで脳の違う部分が働くってのはあるのかもしれない。


新しい技術によってクローズアップされた紙の良さ


ワープロ、そしてPCが登場して、紙なんてものはこれから未来には廃れてしまうよ!なんて台詞を昔のどこかで聞いたような気がするが、どっこい、あれから数十年経って、紙は以前にもまして大量に使われるようになった


紙じゃないと間違いが発見しにくいなんてのもそうだし、いつまで経っても紙から画面に移行できない人達が思いの外多かったのもある。また、記録する方面でもこれだけいろんな入力デバイスが普及してきた時代になっても紙の使いかっての良さ故にアナログな紙媒体への記録を使う人は多い。



だから、たぶん紙はこれからも残り続けるだろう。紙の良さを知ってる人が生きているうちは。