早い進化の代償


J-CASTニュース : ミクシィデザイン変更で大混乱 ビスタもマックも使えない!


最近リニューアルされたミクシィのデザイン変更で大混乱という話題。


うちの環境(WindowsXP+Firefox)では特に問題はなかったけれども、多くの環境でまともに閲覧できなくなった人が出てしまった模様。過去の環境であるMacOS9に対応してないってのは、古い環境だから仕方ないのか?とも思うが、最新の環境のはずのVISTAでも見られないってのはどうなんだろう。


おそらく、ユーザー数が多い環境を中心に対応してて、ユーザーが少数な環境への対応は見送られたってことなんだろう。



どんどん新しいブラウザが出てくるのはいいんだけど、そのどれもで同じ表示をさせるのがほとんど不可能な今、いろんな環境に対応させるのはコストとの兼ね合いになって、少数派な環境ほど切り捨てられがち。

古い環境、少数派な環境にどれだけ対応させるかってのは、ユーザーが多いWebサービスほど難しい問題だと思う。1400万IDって、1%の人が見れなくても14万人だもんなぁ。

インターネットによって得られているもの


Lingua furanca. 切り離された気分になる / ☆YAS!☆」を読んで。


「インターネットが無くなるとき」というお題のトラックバック企画。


インターネットが、電気水道ガスなどと同じく生活のインフラとなって久しい今、インターネットが無くなるということは、私にとって周りの世界と断絶されることを意味する。


もちろん、インターネットが無くなったからといって、本当に周り全てから断絶されるわけではない。テレビは壊れてて見れないけれど、新聞や雑誌を買えばニュースは見られるし、実際に会える人とコミュニケーションを取ることもできる。今ではほとんど使っていないものの、携帯電話を使って電話をすることもできる。


インターネットが無かった十数年前では、そんなのが当たり前の日常だった。


でも、今はインターネットがある。インターネットができて何がそれまでと変わったかと考えると、自分がアクセスできる範囲がそれまででは考えられなかったほど拡大したってのがある。



日常生活を送るだけで知り合える人々だけではなく、インターネット上のさまざまなWebサービスを通していろんな人とコミュニケーションを取ることができる。匿名掲示板で知らない誰かと興味があることについて語るのもそうだし、自分が情報発信しているブログを通して、読みに来てくれた人とやりとりするのもそう。見知らぬ誰かと同じ動画を見てコメントで盛り上がったり、日常のたわいものない独り言で繋がったり。


距離、立場を飛び越えてコミュニケーション相手を見つけられるってのは、現実だけではなかなか実現できない。



インターネットは、コミュニケーションの機会だけではなく、その密度も高めてくれる。メールや掲示板へ書き込むことで、同じ時間を共有しなくてもやりとりが可能になり、世界中どこからでもインターネットに繋がれば、テレビ電話で互いの顔や声を確認することもできる。

多人数の知識を共有するWikiのようなシステムもあれば、テキストでリアルタイムに情報をやりとりできるIRCのようなしくみもある。



距離、立場、時間、情報量といった観点で、インターネットはそれを使う人の可能性を飛躍的に高めてくれる。



インターネットが無くなるとき、我々はいままで利用してきたインターネットによって得られている可能性を失う。人との繋がりや、多くの情報の共有などだ。

可能性を失っても生きていくことには支障はないが、多くの可能性を知ってしまった今、インターネットの無い世界は非常に物足りなく思うだろう。


そして、失ったインターネットに変わる何かを探し求めるに違いない。

ノートPCのメモリを増設しました


今使用しているメインノートPCは、メモリを1GB積んでたんですが、最近どうにもスワップしまくりで動作が遅い。


理由は分かりきっていて、アプリケーションを同時に立ち上げすぎ。

普段使ってるアプリケーションが

で、それ以外にも

を状況に応じて立ち上げています。どう考えてもメモリ1GBで足りるわけがない。


調べてみると、どうやらうちのノートPC(Acer Aspire5600っての)は512MBを2枚積んでるっぽいので、2GBのメモリを一枚購入してきて、片方と交換して、2.5GBにすることにしました。メモリが両方同じ容量、メーカーのものの方が速くなるのかもしれないけど、そんなに影響はないかな?と思って、1GBx2ではなく、2GB1枚の交換とすることに。


メモリの増設法とかはマニュアルになかったのですが、適当に裏を開けて、増設しました。最初開けた場所がHDDだったのはご愛嬌。


ドキドキしながら立ち上げてみたら、問題なくすんなり起動。



おおお、無事2.5GBに増えてる!!



スワップしなくなったら、ものすごい快適になりました。なんだろう、ガンダムで言えば、ジムがマグネットコーティングしたガンダムに進化したくらい。アプリケーションを開いても開いてもまだまだ余裕のメモリの開き。素晴らしい。



で、調子に乗ってたら、Cドライブの空き容量が残り230MBになってました・・・orz HDDの積み替えは面倒なので、データ移して整理しないと。

iPod touchでHOTSPOTを使う(1)


近所のガストでHOTSPOTでiPod touchでのWi-fi接続テスト。


HOTSPOTは公式サイトでiPod touchへの対応が発表されていて、接続方法も紹介されています。
iPod touchでホットスポットがご利用いただけます - 無線LANサービス ホットスポット|最新情報|バックナンバー
HOTSPOTでのiPod touch接続マニュアル(pdf)


ちょっと接続手順が違ったりしましたが、特に問題もなくサクッと繋がりました。


昼ごはんを食べながらネット見てます。



safariでのwebブラウズは問題ないけど、何故かyoutubeは閲覧出来ず。



そのうち地下鉄駅での接続も試してみようっと。

ネットの記録を都合の良いように操作する人をみて

ネットにおけるやりとりは、自分の発言がそこに残るという点で、現実で面と向かい合って話し合うのとは違う。

発言が残るというのは、後から読み直すことができるということ。現実の会話では、さりげなく流されてしまうようなことが、発言が残ることで後から問題になったりすることもある。


自分が書いたことを残すかどうか


ネット上に書いた発言は、後から修正したり削除したりすることもできる。単なる誤字などを修正する分には何の問題もないのだが、誰かとやりとりしているときにその内容を修正したり、削除したりするのはどうだろう?


ネットに文章を書き始めた頃は、後から修正するのは書いた自分の自由だと思っていた。確かに自分の文章単独で存在しているのならそうなんだけれども、誰かとやりとりした場合にはその内容を自分の都合のよいように修正・削除してしまうのはアンフェアな行為だと思うようになった。

後から、ネットに書かれたやりとりを見にくる人にとっては、そこの残されている文章が全てであり、片方に都合の良いように修正、削除されていたとしても、それに気づくのは容易ではない。



非常に残念なことだが、ネット上には、そうやって自分の発言を後から都合のよいように書き換えたり、都合の悪い部分を削除したりして、自分の考えを正当化しようとする人が存在する。

こういう人のブログを見ても、都合の悪い部分は修正されたり削除されたりしており、更に堂々としらばっくれてたりするのだからたちが悪い。


自分の都合の良いように改変された記録を見せられる不快さ


さきほども書いたように、後から書き換えられた記録を見る限りでは、都合の悪い部分が修正されたり削除されたりしているのに気づくのは容易ではない。それに気づくのは、そのやりとりをリアルタイムに観察していて、修正されたり削除されたりしたのを直接見たときである。


この手の輩には、魚拓や別に保存していたログを提示したとしても効果はほとんどない。人の記憶は、自分の都合の良いように修正されて残るというが、それをネット上で確信犯的にやってしまうのだろう。いくらその場で揉めても、後から見に来た人に見えるのは都合よく改変された記録だけ。



ネット上では、自分の見たくない情報は見ないという選択肢もあるが、自分のアンテナを広げていると見たくなくても目に入ってきてしまうこともよくある。

とても係わり合いになろうとは思えなく、むしろ積極的に避けたいくらいなのだが、目に入ってきて嫌な思いをすることもある。



そういう人と親しげにしている人を見ると、知らないで踊らされているだけなのか、それともそういうことをすると分かっていてなお、親しげにできるものなのか、と不思議に思う。



追記:
ブクマコメントにレス。

その辺り気にする人としない人では基準が根本的に違うので、イーブンな条件で討論するのは難しいですね。

気にしないで記録をどんどん修正・削除しちゃう人とは討論になりえませんね。イーブンというか、そもそも無理。

delとかinsとかdatetimeとかciteとかあるよ。そういう人は多分使う気もないだろうけど。

誰かと絡んでるときの自分の書いたものの修正には、delとかinsとか使います。こうすれば、修正したんだって後から見た人にもわかりますしね。元記事をそのままにして、追記してるのも同じような感覚かも。

人の考え方ってのは年をとれば当然変わるもんだろ。ってか昔、同じようなこと書かれたブログに米った事があるな。/むしろ個人でなく政党とか新聞社とかが改竄するほうがよっぽど問題だと思うんだが

考え方が変わるのは問題なくて、ここでは自分の都合の良い修正・削除を行って、記録を操作してしまうことを問題としています。もちろん、これらの改竄は個人以外の政党とか新聞社とかでも問題ですよね。

違和感。単なる誤字でもとりかえしのつかない時もあるよ。当選を落選と書いてしまったりね。発言すべきでなかったことに気づいたら削除訂正した方が誠実だと思う。訂正しない方が誠実だなんて絶対におかしい。

訂正しない方が誠実だなんてはどこにも書いてありませんが。

コメントや他のブログとのやりとりで訂正すべきと気づいたら、修正したり、追記したりすれば良いと思います。その場合には、webmugiさんがコメントしてくれてるようにdelとかinsタグを使うとかのやり方があると思います。このエントリで問題視してるのは、ブログでのやりとりの記録を自分の都合の良いように修正・削除という操作をしてしまうことです。

出たおまえ目線の「都合が良い」どういう理由で修正したか削除したかなんて他人にわかるのかよ。

修正や削除を行うのに然るべき理由があって行っているのなら、修正・削除の際にそう書けばいいと思います。それをしないで、一方的に片方の都合で修正・削除してしまうのは、やりとりしていた内容を「都合よく」変更しようとしている、と思われても仕方ないのでは。