ネットによって人々の意識が交わり、変わっていく時代

ネット―人の心の中にあるものが可視化される世界 - もっこもこっ」を読んで。

ネットが「人の心の中にあるものが可視化される世界」ということに関する記事。


可視化され繋がる思考や想い


ネットにおいて人の心の中にあるものが可視化されるってのは、人が心の中にあるものをネットに書き込んでるってこと。ネットに残された人の心のなかにあるものが他の誰かの心を動かし、またそれが書き込まれていく。


ブログを書くなんてのは、ネットに自分の考えてること、心の中にあるものを記録する、つまりネットを自分の頭の中の外部記憶装置として使うようなものですが、ネットに書き出し他の誰かに見える状態にすることでそれが他の誰かの思考や想いと繋がっていく、ネットを形作る情報の海は大勢の人々の頭の中が繋がってるようなものなんじゃないかと。


ネットでの自分を形作るモノ


ネットにおける自分って存在は何によって認識されるのかといえば、自分がネットにおいて発信したものの集合にほかなりません。発言したこと、反応したこと、自分の興味の記録、自分が作ったもの、そんな一つ一つが集まって自分という情報の塊になります。好きなモノ、嫌いなモノ、考え方、物の見方、体験したこと、考えたこと、思ったこと、そんなことの集合です。


そういった誰かの残した情報によって、ネットを通じて向こう側にいる人の存在を認識するし、剥き出しのそれらがぶつかり合う様を見てると、本音と建前を使い分けて生きることが多い現実とはまた違う形のもう一つの世界なんだな、と感じさせられます。


ネット上に何を追い求めるか


ネット上ってのは、現実と繋がりながらも、現実とは違う世界であるが故に、人はそこにいろんな想いを投影します。理想を追いかける人、現実の鬱憤を吐き捨てる人、仲間を探す人、自分を認めてくれる誰かを求める人、他人の生き方を見る人、チャンスを求める人、逃げ場とする人。



また、ネットを通じてどう行動するかも人それぞれ。ネット上にもう一人の自分を作りあげていく人、現実の自分と重ね合わせる人、次から次へと自分の分身を作る人。



ネットが無かった時代から生きてきた人はネットが無くたって生きていけることは知ってます。でも、ネットを通じて何かを得たり、失ったりした人はネットが自分の生き方を良くも悪くも大きく変えてしまうことも知ってます。そして今の現実の世界はもうネットが存在することが前提となった世界。自分がネットを使う使わないに関わらず、世の中はネットによって広がった可能性に影響されて変わっていくことは止められません。



自分がネットをどう使い、何を得て何を失っていくか、これからの時代はそれに大きく左右される時代なのかもしれません。

嫌がらせに心折られて止めてしまうブログが無くならないネットに漂いながら

ブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかた - karimikarimi」を読んで。

ブログをやめさせない方法についての記事。基本、ブログを続ける止めるは書いてるブロガー本人の意思の問題なんだけど、誹謗中傷・粘着行為などを繰り返されてブロガーの本人の意思とは違った形でブログを続けることを止めてしまうという事に対して「悪口を言わない」という対抗策の提案。


むすびで

「悪口は耐えろ。有名税だ」っていうのが現状であり、いかんともしがたいんですが、悪口を言わない、というのが現状できるブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかたであり、実はそれは不可能だからどうしたもんかというあれこれ。

ブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかた - karimikarimi

と、実際にはそれが不可能であることが書かれてるように、まあ不可能な対抗策。その辺の話をいろいろと。


ブログを続けるということ


ブログってのはネットという20世紀末になって現れた情報空間に何らかの情報を発信する形式。個人、集団、組織などがある程度分量のまとまった記事形式の情報を定期的にアップするのが一般的だけども、今回の記事では主に個人が書くブログの話。



そもそも個人がブログを書くのって何故だろう?って考えると、自分のうちだけに留めておけず外に叫びたい何かがある、とにかく何かを記録するのが、何かを作るのが好きだ、自分の中の何かを発信することで誰かに認めてもらいたい、繋がりたい、ブログを通じて何か成し遂げたいことがあるって辺りが動機でしょうか。


そういう動機で始められたブログはネットに公開され、人に読まれていくうちにいろんな反応をもらうようになります。アクセス、拡散、賛同、批判、誹謗中傷、粘着行為などなど。

  • アクセス:読みに来てもらうこと。カウンタやアクセスログアクセス解析でブロガーは自分のブログへのアクセスを知ることができる。読みに来ただけでカウントされるので、記事を読んでどう思ったかはアクセスだけからでは分からない。そのブログ・ブロガーの認知度、記事の拡散状態、タイトルの影響度(煽り具合?)による。
  • 拡散:こんな記事があるよ、と拡散してもらうこと。ブログやニュースサイトでの紹介、今だとtwitterfacebookなどSNS上での紹介が随分と増えた。はてなブックマークみたいなソーシャルブックマーク、ニュース紹介系サービスによる拡散もある。拡散してる側の動機は必ずしも記事に賛同とは限らず、晒しあげみたいな形もある。
  • 賛同:コメントやブログでの反応、拡散時の好意的コメント、いいね!、お気に入り、はてなスターによる反応(例外あり)。
  • 批判:賛同と同じくコメントやブログでの反応、拡散時の批判的コメント。
  • 誹謗中傷:スマートに批判のみに徹してる場合は少なくて、たいていは誹謗中傷がセットで付いてくる。相手への攻撃的な批判、執拗な悪口、貶しなど。
  • 粘着行為:誹謗中傷がエスカレートすると、ひたすらいやがらせ行為を続けたりする人も。ほとんどは匿名での攻撃ですが、まれに実名・顕名でも。


ブログが多くの人に読まれれば読まれるほどに反応は大きくなります。100%賛同的な反応しかないブログなんてまあ無くて、たいていはアクセスに伴ってアンチな人々が湧いてきます。反応の好意的・批判的の割合は書かれてる内容とその影響度によります。

影響度ってのは、より多くの読者に読んでもらえるような立場になったときにそのブロガーが何かを発信したことでどれくらい周りに影響を与えるのかって尺度。これが高くなると「◯◯さんは影響度があるんだから、そんなこと言わないでください」と言い出す人(たいていは批判的な人、稀に世の中の中立を謳う人)が現れます。


ネットで何かを発信すること


現実で何かを発信することと、ネットで何かを発信することの違いと言えば、「拡散の速度、可能性」「情報のアーカイブ化」「日常では見えない感情の可視化」辺りがあります。

  • 拡散の速度、可能性:地球の裏側で起きたことがすぐに分かるくらいの速度で、それを見ることができる可能性を持つのがネット。自分が発信した情報がそういう拡散速度、拡散可能性を持つってことは文章ではこうやって書けても、実際に体験するまではなかなか認識できないが故に、犯罪自慢や本人に読まれるとは思わなかった悪口などがネット上に溢れることに。
  • 情報のアーカイブ化:ネットで発信した情報は多くのシステムや人を介してそのコピーが記録される(アーカイブ化)。自分がアップしたものを消しても拡散したコピーはそのまま残るため、一度アップしたものを消すのは容易ではない。
  • 日常では見えない部分の可視化:日常では自分が直接影響を与えられる範囲が狭いし、自分に対しての反応が見える範囲も狭い。ネットで発信した何らかの情報ってのは、消さない限りそこに残り続け、世界中の人に読まれる可能性があるため、普段なら目にしなくて済んでいる部分まで可視化されていることに。


ネットに発信することで多くの人に自分の思いを伝えられるようになるってのは、いい面だけではなく、悪い面も同様の可能性を持ちます。善意や好意が集まって何かが形作られるのと同様に、悪意や嫌悪が集まっても何かが生まれます。


ブログを止めるとき


ブログの多くは数年程度で更新を止めてしまうものです。その理由はいろいろで「ブログを書いてる目的を達成した」「アクセスが過剰に集まりすぎ炎上など起こして爆散した」「ブログを書くモチベーションが保てなくなった」など。



その中の「ブログを書くモチベーションが保てなくなった」ってのを分類してみると、「現実の生活でブログ以外のことが大変になりブログどころではなくなった」「書くネタが無くなった」「好意的な反応のプラスと批判的な内容のマイナス、誹謗中傷・粘着行為の削りダメージ(継続的なマイナス)の収支がマイナスに大きく偏る」などに別れます。

  • ブログを書く余裕が無くなる

大体の人は10代から30代くらいまでの間って、自分を取り巻く環境が刻一刻と変化していく時期で、学校や職場など属する組織の移動(就学、転校、進学、就職、転職、退職)、引越し、恋愛、結婚、出産などなど、いろんなイベントが目白押しなこともあり、とてもブログを書いてる暇なんてない、なんて状況になることも充分あり得ます。そういう自分の人生のイベント的な理由。40代以降になると大きなイベントはだんだんと減ってくるので枯れたブログが多くなり、じわじわと続きます。

  • 書くネタが無くなる

ブログを書くってのはアウトプットですから、何かをインプットするとか、新しい何かを作り出す、見つけてくる、とかが続かなければ、そのうちアウトプットするネタが切れてブログを書けなくなります。

ブログを書くことで良い反応をもらったり、有益な意見交換ができたり、人と知りあえたり、というプラスの出来事はブログを書くモチベーションアップに繋がりますが、ブロガーとて人ですから批判的な内容、反応をもらったりするとちょっと凹みます。さらに誹謗中傷・粘着行為ともなると結構凹みます。凹み続けると、そのうち心が折れてブログを止めてしまいます。


「悪口を言う」ということ


ネットで「悪口を言う(誹謗中傷や粘着行為をする)」ってのは、その人の書いていること、主張してること、更にはその人の存在まで含めてどこかが気に入らない、叩き潰さずにはいられない、といった感情から起こるであろう行動です。



ブログにおいて「悪口を言う」側がエスカレートしやすいのは、いくつか理由があります。

  • 匿名という隠れ蓑、ブロガーvs多数の読者という非対称な構図になって、直接言い返されることが少ない状態でやりたい放題できるから。
  • 好意的な反応は一辺倒な形となりやすく、それほど声が上がらないのに対し、批判的な内容はそれが単なる批判に留まらず人格攻撃や攻撃的な誹謗中傷・粘着行為を含む形で行う人が多いこと。
  • 「悪口を言う」ことを注目を浴びる手段として使う人々がいること。「悪口」が集まり荒れてる所に人が集まること。


「悪口を言う」人々は、目的こそいろいろあれど、それも彼らなりの主義主張の形であり、自分の意に沿わない記事なりブロガーなりをネット上から排除するまではそれが止まることはないでしょう。それが彼らのネットにおける自己存在の意義だから。


「悪口を言わない」以外の対抗策


自分の心の戒めとして「悪口を言わない」ってのは実践できたとしても、ネットに参加するすべての人に「悪口を言わない」ことを徹底させるのはどう考えても無理筋。(無理だからやってもいい、って言いたいじゃありませんよ、念のため)



じゃ、ブログ書いてる側が「悪口を言われる」ことからどう防衛するか?っていうと、現時的な対処法としてはこんなところ。

  • システム的に排除する

コメント欄の承認制、はてブコメントの非表示など。でも、外に見えなくさせても本人は一度は読まないと判別できなかったり、個別に読むことはできたりするので、やはりじわじわダメージ食らう。

一番いいのはコレ。礼儀にのっとった批判や建設的な意見のやりとりでの批判は反応するに値するけれども、誹謗中傷入ってたり、粘着行為されてるのに反応するのは相手に餌を与えるだけ。でも、やはりじわじわダメージ食らう。

  • 悟りを開く

物理現象に作用反作用の法則があるように、ネットに何かを発信することで創りだした何かに対してそれと反発する何かが生まれるのもまた道理。押してダメなら引いてみる。執拗に誹謗中傷を繰り返す相手は実はbotなのかもしれない。まともに受けるからダメージ食らうので斜めに受け流す。



あ、最後のはちょっと現実的ではなかったけど、アクセス多いブロガーは悟り開いてる人多そうだから(苦笑)。


嫌がらせに心折られて止めてしまうブログが無くならないネットに漂いながら


ネットに参加する人が増えたってことは、誹謗中傷や粘着行為を自らの心の生業としネットを荒らす人達もまた増えてるってこと。また、そういう荒れごとを読むのが好きな人もまたたくさんいます。場所や時間、立場などの壁を超えて情報をやりとりできるネットは、良くも悪くも現実の世界で生きている人々の有り様を反映します。



もちろん、そんな状態がいい状態だとは思わないし、誹謗中傷や粘着行為を日々繰り返してる人を見て、「ああ、本当に消えてくれないかな」とか心底思いますけど、そこで同じ行為してたんじゃ同じ穴のムジナ。自分が「悪口を言わない」ことを実践するには、その手の人にはスルーして交わらないのが一番。


昔はそういう人達から得るモノがあるかもね、ってなるべく認識範囲からシステム的に外すことはしてこなかったんだけど、最近でははてブのコメント非表示とかも使うようになりました。他人への誹謗中傷も少しくらいならスルーできても、あまりに執拗でいつも目に入ると心がザラつくんです、見てて。



自分のいいな、と思うことに反応し、応援していくことで、そういう人達が少しずつでもネットで存在し続けていける場にしていくってのを地道に続けていくしか無いんですよね、結局。

はてなスターを押せることを知らなかった

http://shgam.hatenadiary.jp/entry/2013/05/06/143556」を読んで。

え?はてなダイアリーはてなブログとかで記事に付けられる「はてなスター」ってクリックするとそのユーザーのブログに飛ぶんだ! 知らなかった、てか押すもんだと思ってなかった。カーソルかざすと、記事中を引用してはてなスター付けてる人の引用部分が読めるのは知ってたけど。

被リンク被リンクと思って付ける人ってあんまり居ないんじゃないかなあ。たくさんスターついてる中から自分のスターが押されることなんてそうそう無いだろうし。



私のはてなスターの使い方は、「記事読んでためになった」「感じるところあった」「参照してもらった反応読んだよ」的な意味で付けてます。付けたときの感情が大きかったときは複数スター付けることも。カラースターはほとんど使ってません。基本、良い感情のときしかはてなスターは付けません。

はてなスターは、実装直後のフィーバーな時期には、みんな狂ったようにスター付け合ってましたね。そういうのが落ち着いた後で、スターが連続して付いてるってのは、「物凄いその人のファン」か「物凄いその人のアンチ」でどちらにせよ感情爆発してるような印象。いい意味でも悪い意味でも。アクセスが多いサイトはだいたいファンもアンチも居るものなので、スターがたくさんつくし、連打するような感情爆発な人も居るんでしょうね。



で、はてなブックマークでブックマークするのは、「自分が興味持ってる話題について書いてる」とき。こちらは自分が賛成な記事でも反対な記事でもブックマークします。基本、webで見つけた興味がある情報の記録のために使ってるので、コメントは少なめ。気が向いたときにちょっと書くくらい。なんか書こうと思うと、すぐに100文字オーバーしちゃうので、気になったブクマ対象はこうやってブログに引っ張ってきて思うところを書いてます。



自分のブログとかはてブコメントに付けられたスターは、翌日にはてなからのメールで分かるので、アクセスとは違う意味で地味に嬉しいものです。



参考までに昔書いてたはてなスターについての記事。
はてなスターデビューからの1週間を見て - 北の大地から送る物欲日記
はてなスターを待つのは流れ星を待つようなもの - 北の大地から送る物欲日記
はてなスター流星群 - 北の大地から送る物欲日記

Jawbone upを買って3週間ほど使ってみて気づいたこと


腕にブレスレットのように付けておける活動量計Jawbone upを購入して使い始めてそろそろ3週間くらいになります。どんなものかというレビュー記事は近いうちに書こうと思ってるんですが、それとは別に3週間ほど使ってみて感じたこと。


腕にブレスレットとか付けてる人って気にならずに生活できてるの!?


ネックレスとかブレスレットとかのアクセサリー類は一切付けないし、腕時計も金属アレルギーでることあるので付けない、そんな生き方を40年してきたところで、初めて一日中ブレスレットの類を付けてみて感じた付けてる感。


別に締め付けられるとかは無いんだけど、例えばPC使ってるときにノートPCとかだとポジション的に引っかかるとか、服を着替えるときに気をつけないと服と絡まるとか、そういう些細な所が気になります。なりました。これって、日常的にアクセサリー付けてる人は同じような体験してるはずなんだけど、どうなんでしょう、付けてるうちに気にならないようになるんですかね? 3週間付けてて、少しは気にならなくなりましたが。



つけ心地って意味では、上記のような何かと干渉するときに気になるものの、それ以外ではほとんど気になることありません。自然な感じ。ずっと付けてても特にかゆくなったりもしないし。夏場とかになって蒸れるとまた別なのかもしれませんが。


中の人が勝手にJawbone upを外します


このJawbone upは寝てるときの睡眠パターンも記録してくれるってのが売りで、当然寝るときもつけっぱなしで寝るのですが、たまに「中の人」が勝手にJawbone upを外しちゃってるときがあります。朝、バイブレーション機能のスマートアラームもかけてるので、それに反応して無意識に外してるのか、寝返りうった時とかに邪魔に感じる姿勢になって無意識に外しちゃってるのか。3週間で3回ほど腕から外れて枕元やら布団の上やらに脱出?してました。




睡眠パターンの記録自体は、腕から外さない限り結構しっかり記録してくれてて、なかなか寝付けなかったときとか、すぐにぐっすり眠れたときとかは次の日にiPhoneアプリと連動して確認するとしっかりと分かります。



最近購入したコミック・書籍


http://www.bookclub.kodansha.co.jp/kodansha-box/topics/nishio/
西尾維新物語シリーズ、最新作の「暦物語」は2013年5月22日発売予定。今度のは短篇集だそうで。残り三冊の二冊目「終物語」の前にこれが割り込みで発売になるってことかな。


憑物語

憑物語

前作の憑物語、確か買ったはずなんだけど読んだ記憶が無くて……部屋でも見かけないので、実は買ってなかったりする?



最近、購入したコミック。

アクセル・ワールドのコミカライズ作品、原作本編とは違うキャラ達のアクセル・ワールドでの物語を描いたマギサ・ガーデンの2巻が出てたので購入。



絶対可憐チルドレン、物語もだんだんと佳境に入ってきて過去編が多くなってきてますね。たまに読んでる連載の方でも過去編だったから、しばらくは過去編な流れかな。

それでも町は廻っている 11 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 11 (ヤングキングコミックス)

そういや、それ町のアニメ版も途中まで見て止まってたなー。どこまで見てたけっか。

つまのひとが読みたいって探してたのを購入。まだ読んでないけど、我々世代(アラフォー)にはたまらない執筆陣。復興支援作品です。



最近は紙の書籍ではなく電子書籍、私の場合は主にkindleストアでの購入ですが、電子書籍版もリリースされるコミックや書籍もあるので、amazonのサイトを結構頻繁に見るようになってます。ただ、本屋で見かけた本をそのまま買うなんてシチュエーションもまだ普通にあるので、いきなり紙媒体と電子書籍とをスッキリキッパリと切り替えるなんて訳にもいかず、もどかしい日々が続きそうです。



思えば、音楽もCDとネット配信で似たような感じで悩む日々を数年前から送ってきてて、今ではほぼすっかりネット配信に置き換わってしまいました。ちょっと前に「パッケージではなくダウンロード販売でゲームを購入するときに感じること - 北の大地から送る物欲日記」でも書いたけど、ゲームもパッケージ版とダウンロード版の間でどっちを買うか揺れ動く状態。


購入の選択肢が増えるのはいいこと。でも、今、ネット配信・ダウンロード販売で何かコンテンツを購入してる人ってのは、いずれは全ての購入をそちらに移したいとは思ってるけど、今はまだ限定的なリリース状態だったり、価格や発売時期、発売形態などで悩ましかったり、そんなのでパッケージとデータとの間を揺れ動いてるんじゃないでしょうか。

これからの子どもはどんなデバイスからネットを利用するのだろう?

子どものスマートフォン化の実態(1) - ITmedia Mobile」を読んで。

子どもがどんなデバイスからネットを利用しているかについての記事。


PCを当たり前に使いこなす世代


子どもにもスマートフォン所有の流れが見えてきてるってのも興味深いけれども、それより目を引いたのがPCを使っていると回答した子どもの割合が小学生、中学生、高校生の全てで80%を超えていること(グラフじゃなくて注釈に出てる数値)。そしてPCで当たり前のようにネットを使っているという調査結果。

最近のPCの世帯普及率はだいたい8割程度というのを見たことがあるので、PCがある家の子どもはほとんどPCを使ってるということに。自宅にPCが普通にあったり、学校の授業でPCを使う機会が当たり前になった今だと、PCを使うことに抵抗を持つ子どもはほとんど居ないのかも。



PCの販売台数をタブレットが上回るようになってきているというニュースを最近見かけるようになりましたが、PCを普通に使いこなす世代がどんどん大人になり購買力が増していく時代になると、案外PCってのも一定数のシェアを残すのかもしれません。

子どもが成長して家を出たとき、一人暮らしを始めるに当たって買い揃える電化製品として、昔ならテレビが入ってたのかもしれませんが、今の時代はそれがPCに置き換わってる気がします。


ゲーム機とタブレットでのネット活用


子どもが所有しているゲーム機でのネット活用は、PCやスマートフォンタブレットでネットを利用するのと違って、ゲームのネットプレイなどが中心なんじゃないかと思いますが、個人で利用できるデバイスという点を考慮すると貧弱なゲーム機のネット環境でネットを利用している子どももいるかも。


タブレットはPCに比べると価格が安いことから、いずれスマートフォンのように個人用途で所有するデバイスになりそうですが、それが子どもにまで浸透するのかってところは、まだしばらくかかりそう。でも、予想以上に低価格化が進むと、一気に子どもにまで普及してくる可能性もあります。



すでに子ども向けのタブレットが約1.5万円とかなりの低価格で登場したりしてますしね。
子ども向け7インチAndroidタブレット「MEEP!」、トイザらスが発売 - ITmedia NEWS


ネットの本流はどこに?


一昔前に携帯電話とPCとで、どちらがネットの主流デバイスとなるか? 携帯電話の方が普及率が高いので携帯電話で見られるネットとPCで見られるネットでは前者が生き残るんじゃないか、って言われてた時期がありましたけど、それから時は流れ、スマートフォンの登場でPCで見られるネットを携帯端末上からも見られる時代がやってきて、結局はPCから見られるネットが主流のまま生き残るという流れになりました。



いわゆる昔の携帯電話、フューチャーフォンで見られるネット空間は、端末が減っていくに従って縮小していくのでしょうけれど、それと入れ替わるかのように普及してきたのがSNSで、これはスマートフォンやPCからでも利用できるので今後も生き残るのは確実であり、昔の携帯電話ネット空間 vs PCネット空間という対立の構図は今では比較的クローズドなSNS空間 vs オープンなPCネット空間という構図になっています。


当初は利用デバイスによって別れていたネット空間の存在が、今では利用目的によって分かれつつもある程度重なりあうネット空間という形に。



ネットの本流という意味あいでは、クローズドなSNS空間とオープンなネット空間が混在する形が今後も続きそう(どちらが本流とかではなく両立しながら存在する状態)で、これから次に来るのはネット活用デバイスの進化による利用シチュエーションの多様化かな、と。


めざましい勢いで普及し続けるスマートフォンタブレットの進化や多様化、Google glassのような常時利用可能かつデバイスの操作が必要最小限となったユビキタスなデバイスの登場、放送受信という意味のテレビからネットを利用するデバイスとしてのテレビへの変革、それらのネット利用可能デバイスとアクセス可能なセンサーの役割を果たすガジェットの多様化など。



当たり前にネットが存在している時代に育った子ども達が大人になってどういう形でネットの可能性を広げていくのか、大人になってからネットが登場した世代には想像もつかないようなネットを活用した世界がこれから広がっていくのかも、と思うとワクワクしますね。

Gunosyはまだ使ってないけど、騒動を眺めてて思うところ

グノシー 無料で読めるニュースまとめ
ここ数日見かけるGunosyについての話題について。



Gunosyってのは、ユーザーの興味にあった記事を配信してくれるWebサービスで、 TwitterFacebookで言及していることや、はてなブックマークにブックマークしている記事等からユーザーの興味を解析し、1日1回、決められた時間にユーザーの興味に合った記事が配信されるというもの。


似たようなサービスの「サービス終了のお知らせ」を既に利用してて、Gunosyも似たようなものかな?と思って興味はあったもののスルーしてたんですが、今回の騒ぎでどんなものかとアカウント登録してみました。だから、まだ使い始めたばかりで、Gunosyの記事配信っぷりがどんなものかってのはまだ分かりません。


毎日新しくアップされる情報とユーザーの興味


Webには毎日、物凄い数の新しい情報がアップされています。新聞社や大手ネットサイト、ブログなどの記事もあれば、twitterのつぶやき、写真や動画など、さまざまな形式で膨大な数の情報が今こうしてる間にも新しく生み出されています。


こうしてweb上にアップされる情報の全てを把握することは恐らく不可能です。でも、facebooktwitterなどでリンクを貼って紹介されているもの、各種RSSでの更新情報を集めることで、新しく公開された情報を、部分的にではありますが収集することは可能です。



ただ、毎日次から次へと更新される情報の全てを追いかけられるような人はそうはいません。一日中ネットに張り付いてなきゃダメですから。自分が興味ありそうな情報だけをまとめて教えてくれればいいのに!って思うユーザー側の思いに応えるのが「Gunosy」や「Crowsnest」みたいなソーシャルニュースサービス。



ソーシャルニュースサービスがやってくれるのは、膨大に収集された新規情報から、ユーザーが興味を持ちそうなものをフィルタリングして数を絞り込んで提供してくれるという作業。ここで重要なのは、ユーザーが興味を持ちそうなもの、ってのをどうやって判断するか、ということ。


それにはユーザーがどういう情報に興味があると判断しているか、というユーザーの行動情報が必要となります。facebooktwitterでリンクを貼って紹介している(興味ない記事を紹介したりしませんよね?)、facebookでいいね!やtwitterでお気に入り登録してる、はてなブックマークでブックマークしている、などの行動がそれに当たります。


また、直接的な行動ではなくても、その人のfacebookのニュースフィードやtwitterのタイムラインによく流れている情報とか、興味対象が似ている人が興味を示している情報とか、ユーザーが興味を持つジャンルで多くの人が興味を示している情報とか、そういうのもまた、あるユーザーが興味を示すかもしれないという指標となります。



ソーシャルニュースサービスでは、各ユーザーがどういう情報に興味を示しそうかというユーザーの行動情報を元に、収集した新規情報の中からそのユーザーにお勧めしうる情報を選択し、提供しています。


新しい情報の価値を現場で判断し続ける人達とそれを後で見る人達


webにアップされている自分の興味がある情報をブックマークし、それを共有するのがソーシャルブックマークサービスで、日本だとはてなブックマークが一番メジャーなサービスですが、ブックマークされたという情報はリアルタイムにどんどん蓄積されていくため、世の中の(正確にはブックマーカー達の、ですが)誰かが興味を示した情報がどんどんと新しく登場してきます。大勢がブックマークする情報を元にしているので、web上をあまねく新しい情報を探して彷徨うブックマーカーがいればいるほど、あっという間に新しい誰かが興味を示した情報を浮かび上がってきます。



私は普段、「はてブニュース - 新着情報」に流れる記事リストを眺めつつ、自分が興味ありそうな記事だけ拾い読みしてるんですが、一日中15分おきとかに新しくある程度の数のブックマークがついて上がってきた記事がリストアップされていくので、はてブで話題になる記事に関してはほぼ見逃すことはありません、ずっとリストアップされる記事をチェックし続けられれば。実際はそんなに頻繁には見ておらず、一日数回、PCの前に座ってるときくらいなので、見逃しまくりですが。



一方のソーシャルニュース系のサービスで紹介される記事は、それを読む人々が厳選されたある程度の数の記事を見せてくれればいい、って所にニーズがあるため、一日分をまとめて1ページで数十記事程度までにまとめて紹介される形が多いです。更新頻度が一日一回が一般的。twitterなどで紹介されているその手の記事リストみたいなのはそういう形のが多いですね。



自分でこうやってブログ書いてて、たまには数千〜万単位のアクセスがある記事が出たりするので分かるんですが、アクセスの波って更新した時から順番があるんですよ。私が観測してる自分のブログ(ここ)へのアクセスだと、こんな感じになります。

  • (スタート)更新直後にはてなブックマークセルフブックマークしてtwitter連携でtwitterに更新情報を流す
  • (数分〜数時間)twitterのタイムライン見てる人がパラパラっとくる
  • (数分〜数時間)はてなブックマークがぽつぽつ付き始める
  • (数十分〜)はてなブックマーク経由でアクセス
  • (数十分〜数日)twitterでリンク貼られた発言からのアクセス
  • (スタート〜)RSSリーダー経由で定期的にここの更新を読んでくれてる人がくる
    • (↑ここまで一次反応)
  • (半日〜数日)ニュースサイトや他のブログで紹介されてアクセス
  • (半日〜数日)ソーシャルニュースサービスで紹介されてアクセス
  • (半日〜2日)はてなブックマークでホットエントリ入りしてアクセス
    • (↑ここまで二次反応)
  • (数日〜)検索エンジン経由でのアクセス
  • (数日〜)忘れた頃に誰かが話題にしてアクセス再燃
    • (↑ここまで三次反応)


自分からアクセスしなくても、自動で毎日興味ありそうな情報を提供してくれるソーシャルニュース系のサービス、楽して情報収集するって意味では楽ちんなんですが、どこかの誰かがその情報に興味有るよってのをさまざまな行動によって評価してくれた後でないと推奨される記事として提供されないということから、どうしたって二番煎じ、既に話題になった記事を遅れて読むってことになります。


つまり、まだ見ぬ自分が興味あると思わしき記事をいち早く自動で知ることができる、というサービスは現状ではありえないということ。自分の興味ある情報をいち早く知りたかったら、それを提供してるサイトの更新情報をマメにチェックのが一番。GoogleReaderの終了騒ぎで話題になったRSSリーダーを使うとか、作者のtwitterをフォローするとか。新鮮な魚(新しい情報)が欲しいのなら、魚屋に行く(ソーシャルニュースサイト)よりも市場に行く(ソーシャルブックマーク)ほうが、漁船に乗り込んだり自分で直接釣る(RSSリーダーtwitterフォロー)のがイイってこと。



上にも書いたアクセスの流れを見ても分かると思いますが、ソーシャルニュースで紹介される記事ってのは、たいていの場合においてソーシャルブックマークが付いてるってのはある意味当然なことだと思います。ソーシャルニュースで紹介された記事が有益な情報だった場合、そこからソーシャルブックマークが付くってのも当然ありえます。


ソーシャルニュース系サービスに何を期待するか


いろいろと書いて来ましたが、ソーシャルニュース系サービスに何を期待するかって言ったら、自分がまだ見てない興味が持ちそうな情報を紹介してくれること。即時性なんかはRSSリーダーとかtwitterのタイムラインやfacebookのニュースフィードを眺めてるのには絶対敵わないので、自分が見逃してるけど気に入りそうな記事を紹介してくれてればOKかな。



自分が既に読んだ記事は紹介しないで欲しい、って人もいるようですが、それを実現するためには自分が何を読んでるかという行動履歴をソーシャルニュースサービス側へ提供しないとイケないってことでもあります。自分が既に読んだ記事が分かってるなら、それを読まなければいいだけなので、そこは気になりません。