嫌がらせに心折られて止めてしまうブログが無くならないネットに漂いながら

ブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかた - karimikarimi」を読んで。

ブログをやめさせない方法についての記事。基本、ブログを続ける止めるは書いてるブロガー本人の意思の問題なんだけど、誹謗中傷・粘着行為などを繰り返されてブロガーの本人の意思とは違った形でブログを続けることを止めてしまうという事に対して「悪口を言わない」という対抗策の提案。


むすびで

「悪口は耐えろ。有名税だ」っていうのが現状であり、いかんともしがたいんですが、悪口を言わない、というのが現状できるブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかたであり、実はそれは不可能だからどうしたもんかというあれこれ。

ブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかた - karimikarimi

と、実際にはそれが不可能であることが書かれてるように、まあ不可能な対抗策。その辺の話をいろいろと。


ブログを続けるということ


ブログってのはネットという20世紀末になって現れた情報空間に何らかの情報を発信する形式。個人、集団、組織などがある程度分量のまとまった記事形式の情報を定期的にアップするのが一般的だけども、今回の記事では主に個人が書くブログの話。



そもそも個人がブログを書くのって何故だろう?って考えると、自分のうちだけに留めておけず外に叫びたい何かがある、とにかく何かを記録するのが、何かを作るのが好きだ、自分の中の何かを発信することで誰かに認めてもらいたい、繋がりたい、ブログを通じて何か成し遂げたいことがあるって辺りが動機でしょうか。


そういう動機で始められたブログはネットに公開され、人に読まれていくうちにいろんな反応をもらうようになります。アクセス、拡散、賛同、批判、誹謗中傷、粘着行為などなど。

  • アクセス:読みに来てもらうこと。カウンタやアクセスログアクセス解析でブロガーは自分のブログへのアクセスを知ることができる。読みに来ただけでカウントされるので、記事を読んでどう思ったかはアクセスだけからでは分からない。そのブログ・ブロガーの認知度、記事の拡散状態、タイトルの影響度(煽り具合?)による。
  • 拡散:こんな記事があるよ、と拡散してもらうこと。ブログやニュースサイトでの紹介、今だとtwitterfacebookなどSNS上での紹介が随分と増えた。はてなブックマークみたいなソーシャルブックマーク、ニュース紹介系サービスによる拡散もある。拡散してる側の動機は必ずしも記事に賛同とは限らず、晒しあげみたいな形もある。
  • 賛同:コメントやブログでの反応、拡散時の好意的コメント、いいね!、お気に入り、はてなスターによる反応(例外あり)。
  • 批判:賛同と同じくコメントやブログでの反応、拡散時の批判的コメント。
  • 誹謗中傷:スマートに批判のみに徹してる場合は少なくて、たいていは誹謗中傷がセットで付いてくる。相手への攻撃的な批判、執拗な悪口、貶しなど。
  • 粘着行為:誹謗中傷がエスカレートすると、ひたすらいやがらせ行為を続けたりする人も。ほとんどは匿名での攻撃ですが、まれに実名・顕名でも。


ブログが多くの人に読まれれば読まれるほどに反応は大きくなります。100%賛同的な反応しかないブログなんてまあ無くて、たいていはアクセスに伴ってアンチな人々が湧いてきます。反応の好意的・批判的の割合は書かれてる内容とその影響度によります。

影響度ってのは、より多くの読者に読んでもらえるような立場になったときにそのブロガーが何かを発信したことでどれくらい周りに影響を与えるのかって尺度。これが高くなると「◯◯さんは影響度があるんだから、そんなこと言わないでください」と言い出す人(たいていは批判的な人、稀に世の中の中立を謳う人)が現れます。


ネットで何かを発信すること


現実で何かを発信することと、ネットで何かを発信することの違いと言えば、「拡散の速度、可能性」「情報のアーカイブ化」「日常では見えない感情の可視化」辺りがあります。

  • 拡散の速度、可能性:地球の裏側で起きたことがすぐに分かるくらいの速度で、それを見ることができる可能性を持つのがネット。自分が発信した情報がそういう拡散速度、拡散可能性を持つってことは文章ではこうやって書けても、実際に体験するまではなかなか認識できないが故に、犯罪自慢や本人に読まれるとは思わなかった悪口などがネット上に溢れることに。
  • 情報のアーカイブ化:ネットで発信した情報は多くのシステムや人を介してそのコピーが記録される(アーカイブ化)。自分がアップしたものを消しても拡散したコピーはそのまま残るため、一度アップしたものを消すのは容易ではない。
  • 日常では見えない部分の可視化:日常では自分が直接影響を与えられる範囲が狭いし、自分に対しての反応が見える範囲も狭い。ネットで発信した何らかの情報ってのは、消さない限りそこに残り続け、世界中の人に読まれる可能性があるため、普段なら目にしなくて済んでいる部分まで可視化されていることに。


ネットに発信することで多くの人に自分の思いを伝えられるようになるってのは、いい面だけではなく、悪い面も同様の可能性を持ちます。善意や好意が集まって何かが形作られるのと同様に、悪意や嫌悪が集まっても何かが生まれます。


ブログを止めるとき


ブログの多くは数年程度で更新を止めてしまうものです。その理由はいろいろで「ブログを書いてる目的を達成した」「アクセスが過剰に集まりすぎ炎上など起こして爆散した」「ブログを書くモチベーションが保てなくなった」など。



その中の「ブログを書くモチベーションが保てなくなった」ってのを分類してみると、「現実の生活でブログ以外のことが大変になりブログどころではなくなった」「書くネタが無くなった」「好意的な反応のプラスと批判的な内容のマイナス、誹謗中傷・粘着行為の削りダメージ(継続的なマイナス)の収支がマイナスに大きく偏る」などに別れます。

  • ブログを書く余裕が無くなる

大体の人は10代から30代くらいまでの間って、自分を取り巻く環境が刻一刻と変化していく時期で、学校や職場など属する組織の移動(就学、転校、進学、就職、転職、退職)、引越し、恋愛、結婚、出産などなど、いろんなイベントが目白押しなこともあり、とてもブログを書いてる暇なんてない、なんて状況になることも充分あり得ます。そういう自分の人生のイベント的な理由。40代以降になると大きなイベントはだんだんと減ってくるので枯れたブログが多くなり、じわじわと続きます。

  • 書くネタが無くなる

ブログを書くってのはアウトプットですから、何かをインプットするとか、新しい何かを作り出す、見つけてくる、とかが続かなければ、そのうちアウトプットするネタが切れてブログを書けなくなります。

ブログを書くことで良い反応をもらったり、有益な意見交換ができたり、人と知りあえたり、というプラスの出来事はブログを書くモチベーションアップに繋がりますが、ブロガーとて人ですから批判的な内容、反応をもらったりするとちょっと凹みます。さらに誹謗中傷・粘着行為ともなると結構凹みます。凹み続けると、そのうち心が折れてブログを止めてしまいます。


「悪口を言う」ということ


ネットで「悪口を言う(誹謗中傷や粘着行為をする)」ってのは、その人の書いていること、主張してること、更にはその人の存在まで含めてどこかが気に入らない、叩き潰さずにはいられない、といった感情から起こるであろう行動です。



ブログにおいて「悪口を言う」側がエスカレートしやすいのは、いくつか理由があります。

  • 匿名という隠れ蓑、ブロガーvs多数の読者という非対称な構図になって、直接言い返されることが少ない状態でやりたい放題できるから。
  • 好意的な反応は一辺倒な形となりやすく、それほど声が上がらないのに対し、批判的な内容はそれが単なる批判に留まらず人格攻撃や攻撃的な誹謗中傷・粘着行為を含む形で行う人が多いこと。
  • 「悪口を言う」ことを注目を浴びる手段として使う人々がいること。「悪口」が集まり荒れてる所に人が集まること。


「悪口を言う」人々は、目的こそいろいろあれど、それも彼らなりの主義主張の形であり、自分の意に沿わない記事なりブロガーなりをネット上から排除するまではそれが止まることはないでしょう。それが彼らのネットにおける自己存在の意義だから。


「悪口を言わない」以外の対抗策


自分の心の戒めとして「悪口を言わない」ってのは実践できたとしても、ネットに参加するすべての人に「悪口を言わない」ことを徹底させるのはどう考えても無理筋。(無理だからやってもいい、って言いたいじゃありませんよ、念のため)



じゃ、ブログ書いてる側が「悪口を言われる」ことからどう防衛するか?っていうと、現時的な対処法としてはこんなところ。

  • システム的に排除する

コメント欄の承認制、はてブコメントの非表示など。でも、外に見えなくさせても本人は一度は読まないと判別できなかったり、個別に読むことはできたりするので、やはりじわじわダメージ食らう。

一番いいのはコレ。礼儀にのっとった批判や建設的な意見のやりとりでの批判は反応するに値するけれども、誹謗中傷入ってたり、粘着行為されてるのに反応するのは相手に餌を与えるだけ。でも、やはりじわじわダメージ食らう。

  • 悟りを開く

物理現象に作用反作用の法則があるように、ネットに何かを発信することで創りだした何かに対してそれと反発する何かが生まれるのもまた道理。押してダメなら引いてみる。執拗に誹謗中傷を繰り返す相手は実はbotなのかもしれない。まともに受けるからダメージ食らうので斜めに受け流す。



あ、最後のはちょっと現実的ではなかったけど、アクセス多いブロガーは悟り開いてる人多そうだから(苦笑)。


嫌がらせに心折られて止めてしまうブログが無くならないネットに漂いながら


ネットに参加する人が増えたってことは、誹謗中傷や粘着行為を自らの心の生業としネットを荒らす人達もまた増えてるってこと。また、そういう荒れごとを読むのが好きな人もまたたくさんいます。場所や時間、立場などの壁を超えて情報をやりとりできるネットは、良くも悪くも現実の世界で生きている人々の有り様を反映します。



もちろん、そんな状態がいい状態だとは思わないし、誹謗中傷や粘着行為を日々繰り返してる人を見て、「ああ、本当に消えてくれないかな」とか心底思いますけど、そこで同じ行為してたんじゃ同じ穴のムジナ。自分が「悪口を言わない」ことを実践するには、その手の人にはスルーして交わらないのが一番。


昔はそういう人達から得るモノがあるかもね、ってなるべく認識範囲からシステム的に外すことはしてこなかったんだけど、最近でははてブのコメント非表示とかも使うようになりました。他人への誹謗中傷も少しくらいならスルーできても、あまりに執拗でいつも目に入ると心がザラつくんです、見てて。



自分のいいな、と思うことに反応し、応援していくことで、そういう人達が少しずつでもネットで存在し続けていける場にしていくってのを地道に続けていくしか無いんですよね、結局。