人はなぜブログやSNSを使うのか
インターネットが普及して、ブログのように気軽に文章を書き綴れる環境もできて、ブログ人口が1000万人に届こうとしていますが、実際にブログを更新し続けている人ってのは、その一部、100万人いるかどうか?ってのが本当なところでしょう。
日本の人口、1億2千万と比べたら、ブログを更新し続けている人ってのは120人に1人くらいってな計算。もちろん、子供や、逆に年配の人〜お年よりになるとこの人数の割合は減るでしょうから、実際のネットをよく利用する年代ではもうちょっと割合は高いのでしょうが、それでも数十人に一人くらいしかブログを更新し続けている人がいないってことに。
実際に、自分の周りを見てみても、ネットでの知人はかなりブログ率高いですけど、リアルな知人でブログを更新し続けている人ってのは、ほんと極わずかしかいません。
mixiのようなSNSで日記というスタイルであれば、かなり気軽になんでも書けるので、知人と近況のような話題を共有しあいたい多くの人々にはmixiのようなスタイルは非常にマッチして、今の爆発的な普及率、500万人を超えてもなおぐんぐんユーザーが増え、利用率も高いという状況を生み出しているのでしょう。
一方のブログはというと、最初の敷居こそ低くなったものの、自分の近辺的な話題を書き綴るのならmixiの方が便利で人も多いですし、更に誰でも見られるブログで身近な話題を書き続けるってのはリスクも高かったりします。
私はmixiもブログも両方利用していますが、知人との近況的なやり取りに使うmixi(SNS)と、不特定多数の大勢に見てもらいたいエントリを書くのに使うブログとは両方とも楽しく更新していますが、そのモチベーションはSNSとブログとではかなり違います。
SNS(mixi)を使うモチベーション
SNS(mixi)では日記を見られる人を知人に限定して、知人とのコミュニケーションにある程度限定して利用しています。知人の近況を知るという目的で使うのが私にとってのSNSです。
足あとや知人の更新履歴が分かる機能は、必要以上にお互いの関係を意識させるものであり、もともと知り合いな人ならお互いを知っているだけにそれほど気にならないんですが、そうでない人とコミュニケーションするときには、逆に距離感がつかめなくなるのがイヤであまりmixi上で積極的に新しい知り合いを探す気にはなれません。
必要以上に慣れなれしくされるのはイヤだし、形式上だけの挨拶ややりとりを強いられるのも好きじゃない。
知人とのやりとりに限定することで、普段なら簡単に疎遠になってしまいがちな知り合いの近況を追いかけることができて、もっと昔からこういうサービスが存在してたらなぁ、と思うことしきりです。まめに連絡取ったり、やりとりしたりするような性格ではないので、こういう場がないとどうしても知り合いと疎遠になりがちなんですよね。
日常の何気ないことを日記に書いたり、友達の日記にコメントしたりという使い方で有意義に使っています。
ブログを書くモチベーション
一方のブログは、知り合いに見てもらってもかまわないのですが、むしろ知り合いじゃない人に向けて発信したいことを書くのに利用しています。
自分が「お?」と思ったニュースやエントリを紹介するのも、自分の考えをエントリに書き連ねるのも、もちろん知り合いとやりとりすることもできますが、それだけじゃなくてもっと多くの人にも見て、知ってもらいたい。そして、他の人がどう思ったのかを聞きたい。
そんな、ある話題について日本中のどこかにいる人々と語り合うための手段として、ブログを書いています。
例えば、ブログ論についてエントリを書くと、ブログ論が好きな人たちが見に来てくれて、コメントしてくれたり、はてブしてくれたり、話を広げてエントリを書いてトラックバックしてくれたり、と、ブログ論というテーマを中心にコミュニケーションをとることができます。
- ブログは不特定多数の大勢の人がみることができる
- 検索エンジンが発展して、ある情報を探している人と、それを提供しているエントリが結びつきやすくなった
- ソーシャルブックマークのように、人力で話題とテーマとを結び付けられるシステムの出現
などの要因で、ブロガーが書いたエントリが、それを読みたい人のところに届く可能性、経路が増えており、あるテーマについて語り合うということは、どんどんやりやすい状態になってきています。
普通に生活していて知り合える人の中で、興味を持てる話題が重なり合うことってのは案外少ないもので、それとは逆にあるテーマについて語り合いたい人が集まって語り合うことのできる場はまさにネットならではであり、ブログもそのひとつです。自分の好きなことを語れることの楽しさに目覚めちゃったら、やめろと言われてもそう簡単にやめられません。
ただ、ブログの場合には不特定多数の誰にでも見ることができる、って点が大きな可能性を秘めている裏で、逆にネックにもなりえます。自分勝手すぎる発言や、無責任な言動、行動などは、多くの人の反発を招くことがあり、炎上と呼ばれる不特定多数の人々の非難を受けてしまうことにもなりかねません。